まずは一日

     

「――という感じで、色々と大変だったんだから。聞いてる、吉良?」
「はいはい、聞いているよ。なんだって私に愚痴るのか全く分からないが――」
「それは……なんというかこう、吉良のことはつい保護者みたいに思ってしまうのよ。変な奴が多い分、まともに見えるというか……昨日わたしが来てすぐ、色々と教えてくれたのも吉良だったもの」
「刷り込みみたいなものか……。君の保護者になった覚えは全くないがね」

 吉良は、宣言通り夜8時前には帰ってきた。すっかり疲れ切ってしまったドッピオくんの代わりに料理をする吉良(普段は二人交代で料理を担当しているらしい)の背後に立って、今日の出来事をあれこれと語って聞かせる。なんだかこうしていると、本当にお母さんの料理中に話しかける子供のような気分になる。べつに吉良はわたしの母でも何でもないけれど。

「しかし――べつに私はDIOを庇う気なんか更々ないが、彼も今回ばかりは結構なとばっちりだな」
「いや……まあ、そうよね……」
「気になるなら、一応謝っておくといいさ。まあDIOのことだから、謝ろうが謝るまいが機嫌次第だろうけれどね」
「あ……謝っておくことにするわ……。喧嘩からの仲直りだって、仲良くなるための第一歩よね?」
「……それは喧嘩なのか?」
 
 吉良は複雑な表情で首を傾げた。喧嘩というか、今回はさすがにわたしが一方的に悪いのだけれど、昨日から馬鹿にされ続けていることへの仕返しと考えればまあ喧嘩でもあながち間違いじゃあない。ということにしたい。

「――ところで、その”仲良し作戦”だが」
「違うわよ、”舐められ回避作戦”」
「結果的には同じことじゃあないのか? いや、どっちでもいいが、その”住人と仲良くなっておきたい”みたいな話だよ」

 それがどうしたの、と言おうとして、ハッとして言葉を切る。特に何も考えず話していたけど、そもそも吉良だってここの住人なわけだし、作戦のターゲットに「あなたと仲良くなりたいの」と言っているようなものだ。いや吉良だし別にいいかも、なんて少し思ってしまうけれど、気まずいことに変わりはない。

「だから、その、ね? 話した通り、今後の生活のためには良好な関係性が必要だと思って……」
「気持ちはわかるよ。程よい関係でいられれば平穏が手に入るってわけだ。いや、それ自体は良いんだが……」

 吉良の料理をする手がピタッと止まる。わたしはなんだか緊張してしまって、おろおろと視線を彷徨わせた。

「えっと……?」
「玲香。私も君に酷い態度を取っていたかな?」
「…………。え?」

 一瞬、意味がよくわからなかった。どんな恐ろしいことを言われるのかと少し身構えていたせいもある。炒めものを見つめる横顔を盗み見ると、気まずいのはこちらの方だったというのに、吉良も同じくらい気まずそうにしていた。

「こんな狭苦しい部屋に住人が増えること自体は正直勘弁してくれと思ったが、君は今のところ私を困らせるようなことはしていないしね。むしろ、君はこの荒木荘の中でも話が通じるタイプとして上手くやっていけるかもしれないと思っていたところだったんだが……」
「そ、そうなのね……?」
「不安にさせていたならすまなかったね」

 吉良が少し振り返って、そっと私の手を取る。
 ――え、え、え? もしかして良い人?
 わたしが思わず感動しそうになっていると、後ろからカーズの声が聞こえてきた。

「玲香、気を付けたほうがいいぞ」
「え、何が――」

 振り向こうとした瞬間、手の甲に吐息を感じて鳥肌が立った。え?どういう状況?
 見ると、吉良は恍惚とした表情でわたしの手をさすり、なんだか少し息を荒くしている。薄く開いた口元からは舌先が覗いていて――こいつ、舐める気だ!?

「ぎゃーーッッ! な、なによ!? 何なのよ!」

 考えるより先に体が動いて、バッとその場から飛び退く。いや、本当に何? キャラ崩壊? 心底信じられない。吉良はまだまともだと思っていたのに――いや、そういえば昨日カーズが「吉良も大概……」みたいなことを言っていたような気も――知らない知らない。もう何がなんだか、わたしの頭じゃあ状況を整理しきれない。

「だから言ったではないか、玲香よ。こいつは極度の手フェチなのだ」
「カ、カーズ……」
「おいカーズ。私の邪魔をするんじゃあない。爆破するぞ」

 今爆破って言ったな。一緒に住んでいるルームメイトにまでスタンド攻撃をするなんて、どう考えたってまともじゃあない。というか、まともな人間が居ると思っていたわたしが間違っていたのかも……。

「さあ、玲香。続きをしようか」

 吉良は尚もわたしの手で遊びたい(どういうこと?)のか、恭しくそっとわたしの手を取ろうとする。甘ったるい声を出すなッ!と叫びたい気持ちだけれど、なんだかもう混乱してしまって声にならない。わたし、ラスボスの割に精神が弱すぎる。

「その辺にしておけ」

 すっと後ろからわたしを引き寄せたのは――DIOだった。いつの間に戻ってきたのやら、というか、さっきのブチギレ顔はどこへやら。余裕ありげに涼しい顔をしている。何があったんだ……。

「でぃ、DIO……その、ありがとう……?」
「DIO? お前とは喧嘩したと聞いたんだが」
「フン。このDIOがたかが人間風情のする事にいつまでも腹を立てていると思うのか?」

 ――思ってた。いや、申し訳ない。まさか助けてくれるなんて、わたしも全く思っていなかったのだ。
 カーズにもDIOにも邪魔されてしまった吉良は、興が削がれたとでも言いたげに深いため息をついた。ため息をつきたいのはこっちである。

「というかDIO、あなた日光の下に出たんじゃあないの? よく生きてたわね……というかわたしのせいだけど……」
「荒木荘だからな。まあ確かに間違いなく貴様のせいではあるが、わたしは考えたのだよ」

 荒木荘だからって何だ。万能ワードにも程があるし意味がわからない。けれど、それに突っ込む以上に、話の続きが気になった。「何を?」と問うと、DIOは笑みを深くした。

「凡人のする事にいちいちキレるのは、帝王のする事じゃあない。そんなものは瑣末な事と割り切り、余裕ある態度で貴様と接する方が余程得策だと気付いたのだ。貴様より”上の立場”の人間としてなァ!」
 
 ……上だの下だの、そもそもわたしは対等な立場を目指したはずだったのだけど――まあいいか。この様子だと、わたしが何をしても”上に立つ者”の余裕で流してくれそうだし、この方がまだ友好な関係が築けるのかもしれない。今も助けてくれたわけだし、この立場を使わない手は無い。使えるものは使うのが黒木玲香である。

「ハァ……もういいさ。気分を害されたよ。玲香の手を楽しむのはまた今度にしよう……」
「今度なんて無いわよ!?」

 わたしとDIOの喧嘩(?)が一段落したことを知った吉良は、なんだかもうすっかり萎えきってしまっていた。でも、ちゃっかりと次の機会を狙っている辺りこの人やっぱりどうかしている。

「嫌われてしまったかな。まあ、今はそれでもいいが……」

 どうかしている――けれど、肩を落とす吉良を見ているとなんだかそわそわしてしまう。べつにわたしは悪いことはしていないのに。というか、悪いことをしてこそのラスボスだけど。
 
「い、いや、嫌いになったとかではないわよ。そもそも吉良よりおかしい人達が沢山居るんだし、これから一緒に生活していくわけだし……」

 そう、嫌いにはなっていないのだ。変人ばかりの荒木荘だけれど、その賑やかさが心地良いとすら感じ始めている。もしかして、わたしは今まで孤独で寂しかったんだろうか。

「玲香、君は――……」

 吉良は少し驚いたように目を丸くしてわたしを見ている。なんだか気恥ずかしくて、目を逸らした。

「君は……とんでもなく変わったやつだな」
「いや、あんたに言われたくないわよ」

 思わず、間髪入れずにツッコミを入れてしまった。わたしは確かに一般社会からは浮いた存在だけれど、この荒木荘においては全然全く変なんかじゃあないと思う。これだけは断じて言える。

「……ま、そうだね。”これから一緒に生活していく”のだから、慣れてもらわないと」

 ふっと相好を崩す吉良。確かにわたしもそう言ったけれど、慣れてもらうと言われるとそれはそれでなんだか怖い。怖すぎる。前途多難だ。

「そうだなァ。このDIOが貴様に合わせて譲歩してやっているのだから、貴様もわたしに合わせる努力くらい出来るだろう? なあ玲香?」
「無論、このカーズにももっと感謝してもらわねばな。おれは貴様に吉良のことを忠告してやったのだぞ」
「……。そう、そうね……善処するわ……」

 一体わたしはここでの生活に慣れることなんて出来るんだろうか? 正直不安しかないけれど、まあ今後のことは今後考えればいいのだ。今はただ、この賑やかな住人たちとうまくやっていくことだけを考えていればいいと思う。それができるかどうかは別にして。
 そろそろ、ディエゴやプッチも帰ってくる頃合いかもしれない。まずは一日、無事に過ごせたことを喜ぼう。