ホラー映画と眠れない夜

 すっかり夜も更けて、散々騒いだ彼らも今は眠りこけている。夜型――というか夜が主な活動時間帯であるDIOは外出中だ。また朝が来る直前に帰ってきて棺桶で眠るんだろう。
 そんな時間帯にわたしが起きているのは、正直とても珍しいことだ。健康な暮らしを心掛けている吉良ほどじゃあないけれど、わたしもそこそこ普通の時間帯に寝て、朝は出来るだけすっきり目覚められるようにしている。
 けれど――眠れないのだ。今日ばかりは致し方ない。だって、久々に全員が揃ったからいつも以上に賑やかだったし、あんなに騒いだ後でこんな静かな暗い部屋に居ると、落ち着かない気分になってしまうのも仕方のないことだ。なんだか普段の夜よりもっと静かに思えるし、時計の秒針の音がやけに響いているように感じる。

「…………」

 どうにも落ち着かなくて、布団から出た。とりあえず何か温かい飲み物でも飲もう、そうしよう。ゆっくりリラックス出来たら、眠る気分になれるはずだ。
 そう思って起き上がったところで、立て付けの悪い部屋の襖がミシミシと音を立ててゆっくりと開く。みんな寝ているはずだし、DIOが帰ってくるにはまだ早いはずだ。思わず緊張して掛け布団を握りしめながら凝視していると、現れたのはドッピオくんだった。

「ドッ――」
「シー……、皆さん起きちゃいますよ」

 驚いて名前を呼ぼうとして、小声でそっと制止される。はっとして口元を押さえると、ドッピオくんは頼りなく微笑んだ。

「……すみません、びっくりさせちゃいました? さっきまでトイレに行ってて……」
「……ちょっとだけね。いつの間に? わたしずっとこの部屋に居たけど、ディアボロはもう押し入れで寝てるんだと思ってたわ」
「さっきボスが死んじゃって、戻ってきてからぼくに代わったんで、その時に。タイミング的に気付かなかったのかもですね」

 小さな声で会話を交わしながら、部屋に戻ってきたドッピオくんは自然な動作で二人分のココアを用意して、片方のマグをわたしに手渡した。ありがとう、と礼を言うと彼は軽く微笑む。少年とはいえ、なんだかんだ彼もイタリア男だ。何も言わなくても気遣ってくれる優しさにじんわりと心が暖かくなる。もっとも、ドッピオくんの場合は”ボスの右腕”として気遣いが身に染み付いているのもあるかもしれない。

「眠れないですか?」
「ええと……そんな感じ。ドッピオくんは眠い?」
「うーん、ぼくもそんなに眠くないですね。少しお喋りしましょうか」

 部屋の隅っこに並んで座る。狭い部屋に布団を敷いて雑魚寝しているから、隅に寄らないと誰かしらの腕や脚に当たったり蹴られてしまいそうだ。
 さっきまでは静寂の中に響いて落ち着かなかった時計の音が、今は心地良いリズムに感じられる。一緒に起きていてくれる人が居るだけで、随分と心の持ちようが変わってくるらしい。ルームライトの優しく柔らかな灯りが横顔を照らす。

「……今日はね、みんなと映画を観たのよ」
「ボスから聞きましたよ。しかも、ホラーを2本って。あ、玲香さんが眠れない理由ってもしかして……?」
「や、ちが……わない、かも」

 否定しようとして、やめた。ドッピオくんはわたしをからかったりしないだろうし、意地を張るだけ無駄なことだ。歯切れの悪い答え方をしたわたしに、ドッピオくんはくすくすと笑う。

「そんなに怖い映画でしたか? ぼくも観たかったなあ」
「ううん、ディアボロ曰くB級映画ですって。でもみんなしてわたしを怖がらせようとしてくるから、いつもより余計に怖がっちゃった。情けない話だわ」
「うわあ、その光景目に浮かぶなァ……。やっぱり、ボスに代わってもらえばよかった」
「ドッピオくんも観たいなら、返却までまだ日数あるから観たら良いわよ。そこの棚にあるから」

 テレビの横の棚を指し示すけれど、ドッピオくんはそちらを見もしないで、「そうじゃあなくて」と苦笑した。意図が掴めずに考えていると、覗き込むような瞳と目が合う。

「ぼくもその場に居たかったなあ、って話ですよ」

 呆気にとられて一つまばたきをする。目の前の丸い瞳が、悪戯っ子のように楽しげに細められた。一瞬遅れて理解が追いつくと、なんとも言えない面映さが込み上げて来る。思わず、ふふ、と小さな笑いがこぼれた。

「わたしも思ってたわ。ドッピオくんが居たらいいのにって」

 今度はドッピオくんがキョトンとする番だった。幼さの残る表情が可愛らしくて、また笑う。わたしの反応にほんの少し拗ねたように、ドッピオくんが唇を尖らせた。

「……からかってます?」
「違うわよ。可愛いなと思って」

 ドッピオくんは、気恥ずかしそうに視線を彷徨わせながら、一つ溜息をついた。可愛いなんて言ってしまったから、気を悪くしたのかもしれない。この家では最年少だし素直な少年だからつい子供扱いをしてしまうけれど、彼もいっぱしのギャングだから、こんな扱いは不服だろうか。
「まあ、良いですけど……」と唸るように呟いたドッピオくんに、「ごめんね」と謝る。ドッピオくんはいつものように眉を下げて笑った。

「じゃあ、今度はぼくとも一緒に映画観てくださいね。玲香さんの好きなやつでいいですから」
「ええ、約束よ。わたしの観たい映画と、ドッピオくんの観たい映画、2本観ましょうよ」

 わたしの返答に、ドッピオくんの表情がパッと明るくなる。約束ですよ、と念押しと共に差し出された小指に、自分の小指で応える。嬉しそうなドッピオくんの顔と温かいココアのおかげで、だいぶ心が安らいできた。そろそろ、ちゃんと眠れそうかもしれない。小さくあくびをすると、ドッピオくんは柔らかく目を細めた。

「……眠くなってきたみたいですね」
「うーん、少し」
「なら、もう寝ちゃいましょうか。おやすみなさい」

 ドッピオくんが少し手を伸ばしてルームライトの灯りを消す。もう少しお喋りを続けるのもいいなと思ったけど、これはもう寝る雰囲気だ。
 ディアボロが寝る時の定位置である押し入れに向かうドッピオくんの背に、「おやすみなさい」と返す。

「はい、また明日。玲香さん」

 改めて自分の布団に潜り込みながら、わたしはドッピオくんと観る映画は何にしようかと今から考え始めていた。