帰り道はおなじ

 彼がそれを持ち歩くことを咎めるわけではない。そんなつもりは一切ない、けれど。

「――ねえ。それ、邪魔臭くないかしら?」

 けれど、そんなに大きなぬいぐるみを持ち歩くことに何の意味があるというのやら。カーズはいつも、可愛らしいぬいぐるみを好んで持ち歩いた。一緒に買い物に出た今日もだ。いや、それ自体は良い。わたしだって、持ち歩くと落ち着いたり嬉しくなる物はいくつかある。わたしにとってのお気に入りの香水とか手鏡とか、そういうものと同じなのだろう。だから、せめてもう少し小さなものにしたら良いと思う。もう少し持ちやすいものにしたら良いのに。

「嫌なのだ」

 ふい、とそっぽを向くカーズに、わたしは苦笑する。まるで小さな子供のようだ。決して幼くなんかないのに、なんでこう可愛らしい一面があるのか全く不思議だ。ここまで年を重ねても尚そんな子供らしい一面を持つ彼が、わたしは少し羨ましくもある。そんなわたしだって、荒木荘の中ではまだまだ小娘と呼ばれることもあるくらいの歳ではあるけれど。

「……だが、」

 彼が再びこちらを向くので、わたしもそれに向き合う形になる。

「玲香が新しく可愛い子リスちゃんを買ってくれるというなら、それも良かろうなのだ」

 そう言う彼の人差し指が真っ直ぐに指すのは、数メートル先の玩具屋のショーウィンドウに飾られた小さな子リスの縫いぐるみ。つまりは、買ってほしいということだろう。わたしは少し微笑んで溜息をついてから、鞄から財布を取り出す。そんなものが買えるほど、わたしは今お金を持って来ていただろうか。開いた財布にあるのは数千円。しかしこれほどのサイズ感のぬいぐるみ1つなら十分に足りるはずだ。もう一度財布を閉じたわたしは、カーズの手を取って玩具屋に入る。ドアに掛けられたチャイムが揺れ、チリンと高い音がした。

「すみません。その、ショーウィンドウの……子リスをいただけるかしら」

 たまたま近くを通った店員を呼び止める。後ろでカーズが、ほんの少し驚いたように見えた。

「……なに?」

 振り返り、カーズを見上げる。しかしカーズの表情はいつも通りだ。見間違い? まあ、それならそれでいい。

「本当に買うのか」
「あなたが頼んだんじゃないの。……ま、別にお金のことは気にしなくて良いわ。バイトして自分で稼いだ分だもの」

 わたしは少し得意げにそう言ってみせる。賞金を稼ぐ天才ジョッキーのディエゴや、ある程度真面目にサラリーマンとして働いている吉良とは比べ物にならないけれど。それでも、バイトだろうと自分の稼ぎは自分の稼ぎだ。わたしは、アルバイトで稼ぐという人生で初めての経験に浮かれている節がある。自覚はある。
 しかし、そういうことが言いたいわけではない、とカーズが目で訴えているのが分かった。いや、わたしもそんなことは解っているけれど。自分でも、何故それを買い与える気になったのかは分からない。ただ、たまにはそれも良いんじゃないかと思っただけだ。

「───はい、こちらですね。二千三百円になります」

 レジのトレイに代金を置き、今店員から手渡された包みをそのまま彼に放る。

「……ほら。これで良いでしょう?」
「……ありがとう」

 珍しく感謝を口にした彼に、わたしの口元は緩む。いけないいけない、カーズだって我が家の問題児の一人なのに、可愛らしく見えてうっかり絆されそうになる時がある。わたしは目を逸らして、少し早口に言葉を紡いだ。もちろん、照れ隠しだ。

「それ、もし無くしたって、新しいのは買ってあげないわよ。ちゃんと大切に持ってなさいね。大きいぬいぐるみと一緒に持ち歩いたりなんかしたら、落っことして無くしちゃうわよ」
「無くしはしない」
「……なら、良いわ」

 自信満々にカーズが答えるので、おかしくなって笑ってしまった。こうなるともう、絆されても良いかもしれない、という気になってくる。我が家の問題児たちは、嵐を呼ぶというか嵐そのものだけれど、良いところもあるということを、実はわたしも知っているから。
 ふと窓からの光が弱くなったような気がして、外を見る。空が曇ってきた。雨でも降るのだろうか。

「……カーズ、そろそろ帰りましょうか。 雨も降りそうだし」

 わたしがそう声をかけると、彼は自動ドアから外に出て、ごく自然な動作で振り返ってわたしを待った。わたしも外へ出て、並んで歩く。カーズの方が随分と背が高く歩幅が大きいので、遅れないように彼の手首辺りをそっと掴んだ。いつからこうして、当たり前のことみたいに一緒に歩くようになったんだったかしら。彼らと暮らすようになって初めの頃は、もう少し彼らから距離を取っていたような気がしなくもない。
 つい、と視線を外して空を見上げる。水滴がポツン、と頬に落ちた。

「――傘、持って来てないのに」

 独りごちたわたしの頭上に影が落ちる。差し出されたそれが折り畳み傘だと判るのに、そう時間は掛からなかった。

「……あら、持って来てたのね。 ありがとう、でもカーズはいいの?」
「無論。究極生命体には雨など関係ないのだ。……だが、子リスちゃんは玲香の鞄に入れさせてもらうぞ」

 得意気にふふんと笑う彼は、やはりどこか幼く見える。かつての彼はこうではなかったのだろう。まあ、こんなに可愛い癒やし系究極生命体がジョジョと殺し合いを繰り広げているところなんて、想像もつかないし。
 だとしたら、変わったのはこの荒木荘に来てから。それなら、そのうちわたしも変わっていくのかしら、なんて思う。いや、もしかするともう大分変わってきたのかも。かつてのわたしだったら、アルバイトなんてしないし、そのお給料を家族のために使ったりなんてしないと思う。

「玲香は最近、丸くなったな」
「えッ!? そうかしら……やっぱり食べすぎ? 吉良もドッピオくんも、料理が上手いんだもの……」
「いや、そっちではない」

 ”丸くなった”なんて突然言うから衝撃を受けたけれど、どうやら悪い意味ではないらしい。紛らわしい言い方をしないでほしいものだ。これからも安心して美味しいご飯を食べよう。

「……ということは、性格の話よね?」
「他になかろうなのだ」
「そ、そうね……? いえ、だとしても、そんなに丸くなったかしら? というか別に最初から尖ってもいないわよ」

 わたしが尖っていたことなんてあっただろうか。いや、生前は――今も生きているといえば生きているのでこの言い方もおかしい――ジョースターに追われていたくらいの頃は、悪事の限りを働いてきたけれど、それだって別にわたしのやりたいことをやりたいようにやってきただけだ。わたしの基準では悪事でも何でもない。誰に咎められたって、そんなの知ったことではないし。

「まあ、他の奴らに比べれば大したことは無かったがな。それでも、まだ多少は悪役らしさがあったぞ」
「そ、それって、今は無いってことじゃあないの……」

 なんだかショックだ。「わたしの悪事はわたしにとっては悪事ではない」なんて言っておきながら、ショックを受けるなんておかしな話だけれど。
 カーズもおかしくなったのか、くくっと喉を鳴らして楽しげに笑った。

「何がそうショックなのだ? 最初の頃は、”あなたたちみたいな悪のラスボスと一緒にされたくないわ”なんて言っていたではないか」
「言ったかしら!? 声真似は全ッ然似てないけど! でも、そう……わたしそんなことを……」
「今はそう思わないと?」

 カーズのさも愉快そうな瞳がこちらを見る。わたしは少し考えてから頷いた。

「思わないわね。だって……」
「だって?」
「わたしだけラスボスらしくないのなら、あの家に住んでるのが変なことみたいじゃない」

 カーズはますます楽しそうに声を出して笑った。いや、笑うことではないでしょう。少しムッとして彼を見上げる。

「そういうところが丸くなったと言っているのだ」
「……そんなことないわよ」

 何がなんでも反論したくなってそう言ったけれど、実のところ、言われてみればそうかもしれないという気がしてきていた。彼らのことを家族と認識しつつあるのがその証拠だろう。あの騒がしくて少し危険で狭苦しい六畳一間は、立派な我が家だと思っているし。

「玲香のところのジョジョに今の玲香を見せたいものだな」
「げえ……それだけは嫌よ。それに、今だって時々はジョースターとも会ってるわよ? 不本意ながらね。そんなことよりカーズ、早く帰るわよ。見たいテレビがあるんだから」

 ジョースターの方だって、他のジョジョたちと交流して少しは丸くなったんじゃあないだろうか。彼の生活は彼の生活だし、わたしは微塵も興味がないけれど。
 わたしはぐいぐいとカーズの腕を引っ張って、早足で歩いた。わたしの早足よりも、カーズが普通に歩いたほうがよっぽど速くて小憎たらしい。

「当然、このカーズも早く帰る気でいるのだ。さっき買ってもらった子リスちゃんを雨に濡らすわけにはいかんからな」
「それはちゃんと大事に鞄にしまってるわよ。雨が強くならないうちに家に着きたいわね」

 そう言いながら、わたしはこの家族と家に帰る時間が、わりと好きなのかもしれないと思った。それはカーズじゃなくても、たとえば吉良でも、ディアボロでも、DIOでも。同じ家に帰る誰かと一緒に歩くのは、安心感があって良い。
 ――まあ、そんなこと言ってあげないけど。
 少し浮かれた早足で、カーズの大きな歩幅に負けないように家路を歩いた。