青い春はいま

好きな人が出来たらどうすれば良いんだろう。
なんて、考えることも馬鹿馬鹿しい。
そもそも、そう、恋ってのはつまり、何だ。何なんだろう。というかこれが恋だと仮定するならあまりにも、あまりにもなんというか───ああ。

「何なんだよ苗字よォ~、話聞いてねェだろおまえ」
「きーてるきーてる」
「いやおまえ、いくらオレが馬鹿だからってさすがにおまえの嘘はわかるぜ」

なんというか───……さすがに相手が悪いだろう。恋だと仮定するなら。

「……億泰は、さぁ」
「話逸らしただろ今!」
「良いから聞いてよ、ねえ」
「…………」

彼はむっとした顔で押し黙る。喋ってもいいということなのだろう。聞いてと言ってもわかったと答えない彼は可愛い人だ。かわいい、うん、それだけ。

「億泰は好きな人いないの?」
「す───アァ!?」
「ん? いないの?」
「ば、ばかにしてんのかよ苗字てめーよォ~、仗助みたいに女にモテたりとかしねえってこと知ってるくせによ」
「モテなくても好きな人くらいいてもいいじゃん?」
「そうは言ってもよぉ」

落ち着かない様子で視線をさまよわせる虹村億泰に、私はくすっと小さく声を立てて笑った。

「……いるんだ?」
「いねえよ畜生このダボがッ」
「お口が悪いぞ~おくやすくん」
「けっ、にやにやしやがって……」

億泰はたぶん所謂『不良』とかそういうヤツで、だからもちろん口が悪いのはいつものことなのだけれど、私と話す時はいつも以上に辛辣な気がする。いや、私が彼をからかったりなんかするからそうやってひどい言葉を使うんだろう。
でも可愛いヤツだ。そんなところが可愛い。ああ、でもそういえば可愛いだけじゃあないんだ、この人。

「好きな人、って、どんな感じ?」
「だからよぉ~、いねえっつってんのになんだっててめぇはそうやって」
「マジでいないの?」
「だからそう言ってんじゃあねぇかよ」

ふーん、と気のないような返事をして、私は自転車のペダルを足で強く押した。
何故だかわからないけど、もうなんだか癪だから、さっさと学校へ行ってしまおう。今日もどうせ私たち二人遅刻だし、それどころか億泰なんてまともに授業を受けるどうかもちょっと怪しいし、まあそれなら急ぐ必要はないんだけど。
後ろから、待てよ、と私の苗字を叫ぶ声が聞こえた。
考えてみれば億泰は未だに私を苗字で呼ぶんだ。私は億泰を億泰って呼ぶのに、あいつ、私のことをナマエって呼んだりはしないんだ。呼んでくれたらどんな気分になるだろう。億泰の声で、ナマエ、って。
理由もなく無性に苛々して、でもなんだか変に爽快な気分だった。理由もなく、じゃあなくって、もしかしたらあるのかもしれないけど、私にはわからないのだからないのと同じことだ。

「早くしないと置いてくよ億泰!」

彼は徒歩で通学してるわけだし、まあ、明日はこの自転車に一緒に乗せてやっても良いかなって、少し思ったりした。そしたらそのときは私じゃなく億泰が自転車を漕いだらいい。私は後ろに座って彼の背中でも見ていればいいと思う。うん、素晴らしく最高だ。実にいい。

「おい苗字! てめーだけ自転車だからってオレを置いていくこたぁねぇだろうがよォ~ッ!」

走り疲れたなら無理して私について来なくても一人でゆっくり学校へ行けばいいのに、馬鹿なヤツ。いや、そもそも私だけ自転車通学で彼は徒歩なのになんで一緒に学校へ行くんだ。ほんとに馬鹿。可愛いヤツ。仕方が無いな、まったく。
キィ、と高い音を響かせて私の自転車が止まる。

「……三秒! 三秒だけ待ったげる! ほら、いーち、にーい……」
「なッ、なんだよそれェ!」
「……さーん! はい、よくできました」

私はそう言って、それからちょっと笑った。スタンドでガオンすれば良かったのにと呟くと彼は驚いたような顔をして、「おまえ天才かよ……」なんて零すのだからそれがまた笑える。

「……別に明日じゃあなくてもいいや」
「ん? 何がだよ?」
「何でもない何でもない。ところで億泰、乗らない?」
「おお、乗せてくれるなら乗るぜ」
「億泰が漕ぐのよ?」
「……マジで言ってんのかよそれ……」
「マジだよ、ほら、どうぞ?」

自転車から降りて、彼の腕を引っ張ってみたりする。しょうがねぇなぁ、と彼は私の自転車に跨る。

「……どうせ遅刻だしゆっくり行かねえ?」
「むしろ遅刻だからこそ急ぐべきでしょう」
「真面目かよ」
「億泰よりはね」

自転車を早く漕いで、風に当たりたい気分だった。髪の毛が風の流れに沿って頬に当たるのが気持ちいい。
私が億泰のことを好きなのが、恋でも恋じゃあなくっても、どっちでもいいと思った。どっちでもいいけど、私はこの人がたぶんものすごく好きだって思った。
自転車はスピードを上げていく。億泰、と名前を呼ぶと彼は前を向いたまま返事をする。

「どうしたー?」
「私、今すっげぇいい感じの気分」
「そうかよ」
「うん、なんかね、日曜日の朝に目覚めよく早起きした時みたいな気分」
「そりゃあ良かったな、ところで苗字」
「うん?」
「このまま学校行くくらいならちょっと寄り道しねえ?」
「……コンビニなら許す!」
「オーソン行こうぜ、オーソン」
「じゃあもっとスピード上げて!」

スカートが風に揺れる。最高にいい気分だ。そういう気分のときは自転車でスピードを上げながら立ち上がって漕ぐのが好きだけど、今日は私が漕いでいないから出来ない。でもそれは億泰が私の前で私の自転車を漕いでいるってことだから、なんだか楽しくて、許してやろうという気になる。そんなことを考えてから、私が一体何を許すんだよと思って少し笑いがこみ上げてきたりして、本当にいい日だなあと思った。まだ朝だっていうのに、それでも今日は一日いい日だと思ったのだ。
まあ、つまりは最高の気分だったということだ。最高の気分だったので、ちょっと目の前のあいつにも伝えてあげることにした。

「ねえ、私、億泰のこと好きよ」

とてもよく晴れた、良い日だった。

2015.10.18