ホラー映画と眠れない夜

 奇跡的に全員の休みが噛み合うその日、「映画でも観ないか」と最初に提案したのは誰だっただろう。娯楽に飢えるわたしたちは特に断る理由も無く、全員が全員二つ返事で賛成した。
 そんなわけで、わたしたちはレンタルビデオ屋を訪れた。映画館へ行く選択肢もあったけれど、こんなに目立つメンバーが揃って座っていたら周囲の観客は映画どころじゃあないだろう。全体的に高身長だから、後ろの席に座らないと邪魔になるだろうけれど、何人かはそれを嫌がってゴネそうだし。だから、目立ちたくないわたしと余計なトラブルを避けたい吉良が反対して、少しでも落ち着いて過ごしたいディアボロが「おうち映画」を提案したのだ。

「……でも、わたしたちが一緒に見て楽しめる映画って何かしら。世代も趣味もバラバラでしょ?」
「まあ、たしかにな。趣味はともかく、世代に関しては論外な奴らが居るし……」
「それはまさか、おれのことではあるまいな? ”論外”とは随分な言い草だ。おれが論外なのではなく、貴様らが論外なのだ」
「お前だけのことじゃあねえッ! いちいち面倒な突っかかり方をするなよ、まったく……」

 わたしの発言に同意したディエゴは、カーズからのイチャモンに苛立って眉頭がピクピクとわなないている。今日も早速ストレスフルだ……。ディエゴはただでさえ短気な方だし、我の強い彼らにストレスを刺激されるのはもはや必然かもしれない。ディエゴが頻繁にキレすぎという説もあるけど、家賃も払ってくれているわけだし何も言うまい。
 珍しく黙ったまま大人しく棚を物色していたDIOは、何やら気に入るものを見つけたのかニヤリと笑ってこちらへ視線を向けた。

「何か面白そうなものでもあったの?」
「見てみろ」

 手渡されたパッケージに描かれているのは――……

「ぞ、ゾンビ映画じゃないの……! こ、これ観ようって言わないわよね……?」
「ンー? どうした、怖いのか玲香? ゾンビくらいで怯えるワケがないよなァ? このDIOは昔――」
「いいわよその話は! 違うわよ、怖いんじゃあなくて、その、……これ、グロ系?」

 おそるおそる尋ねると、DIOより一つ奥の棚を見ていたプッチが「なんだ玲香、そういうのは苦手か」と意外そうに反応した。
 DIOも変わらず意地悪く口の端を吊り上げているし、他のみんなもどことなく面白がっているような雰囲気だ。日常的に命の奪い合いをしてきた者ばかりなのだから、今更そんなことに怯えているわたしが小心者に見えるのだろう。不本意だけど。

「でも玲香だって、ディアボロの死に姿は見慣れただろう?」

 吉良はちらりとディアボロに視線を移す。どうやらディアボロはいきなり棚が倒れてその下敷きになるんじゃあないかとビクビクしているらしい。不憫だ。

「うーん……ディアボロのことは置いといて、とにかくそういうんじゃあないのよ。別に怖いのは平気だわ。ただその、本物のスプラッタは平気でも、こういう映画って演出が過剰だし余計に……ね?」
「置いといてとはなんだ、置いといてとは。そもそも何故オレを例えに出す……?」
「なるほど。まあ確かに現実とは違うし、そういう意味では分からなくはないね。共感はしないが」

 尚も周囲に警戒して怯えながら不服そうに文句を呟くディアボロをスルーして、吉良が顎に手を当てて頷いた。ほんの少しでも理解してもらえたならありがたい。だって今のこの流れは、完全にみんなしてわたしを弄る流れだったし。そうなのよ、と相槌を打とうとしたところで、カーズの不敵な笑みが視界に入る。嫌な予感。

「ほほう? 怖いのは平気と言ったな、玲香?」
「え? ……い、言ったけど……なに?」
「では、これを観ようではないか。怖くないのだろう?」

 カーズが突き付けてきたパッケージが何であるかは、わたしの鼻先に当たるか当たらないかというところにあるせいでよく分からない。ただ、一つ言えるのは――この流れは絶対にホラーを見せられるパターン……!

「…………」
「どうした玲香? やっぱり怖いんじゃあないのかァ?」
「い……いいわよ。観ましょうよ、それ。カーズはそれが観たいんでしょ?」

 言いながら、カーズの腕をぐいぐいと押し退ける。「おれが見たいのは映画じゃあなくお前の反応……」と言い掛けているその先を遮るためにも、努めて明るく声を張る。お店の迷惑にならない程度に。

「他のみんなはこれで良いのかしら? ホラーが苦手な人は? 他に観たいのがあれば、複数借りるのもアリよね!」
「私たちがホラー苦手そうに見えるのかい?」
「それは……でも、ほら。ドッピオくんとか……」
「ドッピオもそこまで苦手じゃあない。それに、観るのはオレだしな」
「そ、そっか……。じゃあ他に観たいものがある人は? 居ない?」

 みんなを見回しながら再度問う。顎に手を添えて棚を眺めていたプッチが、「じゃあこれを」と一本わたしに手渡した。

「……な、なんで館ものホラーなのよ……!?」
「面白そうじゃあないか」
「確かにあらすじ読む限りではストーリーが気になる感じで……いや、そういう問題じゃあなくて、今ホラー2本観る流れだったかしら……?」
「玲香はわたしたちの観たいものを尊重してくれるんだろう?」
「…………」

 プッチのこういう言い方って、DIOやカーズみたいに高圧的なわけじゃあないのに不思議と物凄い圧を感じるのは何故なんだろうか……。引き攣った顔のまま何も言えずにいるわたしを見たプッチはふっと口元だけで笑って、黙ってわたしの持つカゴにパッケージを放り込んだ。敗北感。

 
 ◆

 
「……なんで深夜の病棟を1人で歩くのかしら、こういう作品の主人公って……」
「仕事だからだろう」

 その通りだけど、そういうことじゃあない。映画を観ながらぽつりと零した独り言に吉良からのマジレスが返ってきて、思わず眉を寄せる。

「そうだけど、物音がしたり何かが通ったように見えたからってわざわざ見に行く……?」
「お前は隠れるタイプだろうなァ」

 笑いを含みながらのDIOの一言が刺さる。たしかに隠れるけど! 身を守って何が悪いっていうのよ。
 考えてみれば、DIOもカーズも吉良もプッチもディエゴも、何か様子がおかしいと思ったら自ら確認しにいくタイプな気はする。唯一ディアボロは、わたしと同じく身を守る方を優先しそうだけど。彼の場合は実際死んでしまうのだからやむを得ないことだ。
 ――そんな考え事に意識が逸れていたけれど、ふとBGMが止まって静かになる。画面の中の主人公が、暗闇の中で恐る恐るといった様子で周囲を探っている。横からカーズがニヤニヤした顔をわたしの方に寄せて、「来るぞ……」と低く囁く。そんなの誰がどう見たって分かるんだから、わざわざ身構えさせようとしないでほしい。
 分かっていても、この瞬間は緊張感に包まれる。これはこれでホラーの醍醐味なのかもしれないけど……。画面の向こう側で、ゆっくりと主人公が振り返る。ゴクリと喉が鳴った。そして――……

「WRYYYYッ!!」
「きゃあッ!?」

 突然、スピーカーからは大きなSEが流れて、後ろからの奇声と共にわたしの肩に手が置かれる。DIOだ。ばくばくと音を立てる胸元を押さえ付けながら振り向くと、DIOはにやりと満足気に笑っている。

「し、し、心臓が止まるかと思ったじゃないの……!」
「それはおかしいなァ? 怖くないと言ったのはどこの誰だ?」
「ちが……そうじゃあなくて! そんな驚かし方されたら誰だってそうなるわよ……」

 映画の演出とDIOのドッキリの相乗効果で、正直なところ怖かったのは事実だ。直前のカーズの煽りが効いたのもあるかもしれない。普段ならこんなことで怯えたりはしないのだけれど、映画を観ながらだとすっかり雰囲気にのまれてしまうのだから不思議だ。
 彼らの煽りは不愉快だけど、実際怖がっているところを見せてしまったので強くは言い返せない。もごもごとうまく言葉にならない文句を呟いているわたしを見て、ディエゴが小さく笑った。

「――しかし、可愛かったな。きゃあ、なんて」
「な……ッ」

 ……いつものやつだ。わたしを弄る時のディエゴときたら、あまりに楽しそうにするのだから本当に性格が悪い。ディエゴに限ったことではないけれど。人が言い返しにくい時に限ってこういうことを言う辺りが腹立たしいところだ。

「確かに。案外可愛らしいところもあるじゃあないか。ナイスだDIO」
「ちょっと、プッチまで……!」
「どうせなら、私に抱き着いてきてくれれば良かったものを。なあ? その手で私の腕やら袖口やらをギュッと握るだけでも……」
「いや、このカーズに抱き着くほうが自然ではないか? 隣に居るのはこのおれなのだぞ」
「何故そうなる。玲香を驚かせたのはこのDIOだというのに!」
「逆だろう。お前に驚かせられたのだからお前から逃げるのが自然だ」

 何やらくだらない言い争いが始まってしまったけど、わたしは一体どんな顔してここに居ればいいのかしら。いい加減この玩具扱いも勘弁してほしいところだ。ああ、今ここにドッピオくんが居てくれたらきっとわたしの味方をしてくれるのに。彼のことだからそれでもあっさり皆に言い負かせられるのだろうけれど、いつものように庇ってくれるだけで充分にわたしの居心地は良くなるのに!

「しかしこの映画、思っていた以上にB級だな」

 わたしの願いとは裏腹にドッピオくんと替わってくれることはないディアボロが、ぼそりと呟いた。皆して人を散々煽って怖がらせておいて、映画自体はB級だっていうのか。もうなんとも言えずどっと疲労感が押し寄せてきて、わたしは色々と諦めて後ろにもたれ掛かった。まあ、ここは貧乏な荒木荘の一室だから、後ろはソファの背もたれなんかじゃあなくてDIOの胸板なんだけど。