空回り

思い返せば彼は、昔はもう少し肥えて────いや、控えめに言うならば『ふくよか』であったような気がする。
いつからこんなに痩せたのかというのもあまり記憶には残っていないが。頭は悪くないつもりであったが記憶力という点においてはとんと弱い。その分例えばテストの暗記なんかでは人一倍努力しなければならない。
彼の配慮のおかげで私が大統領の養女であることは周りに知られてはいないため虐められたり変に期待されたりといったことも────私が日本人だからという単なる好奇心以外には無いが、それもいつまでも続くものではないような気がする。そんなことを言えばきっと彼は杞憂だと言うだろうし、実際彼ほどの人物なら秘密を守るくらい容易なのだろう。それも分かってはいるのだがどうにも気持ちがそれについていかない。
大統領の養女。仮にも大統領に育てられた娘である。
教養のない人間がそんな肩書きを背負うのはなんとも恥ずかしいことだと思っているし、彼の名を汚すようなことはしたくないのだ。
そう思って私なりに努力してきたつもりだ。
かといって彼に認められたいだとか彼の為だとかそんなことは言わないし思ってもいない。そんなことを思うのはおこがましいとさえ言える。
私は私の為に努力したのだ。彼本人はそんなことは微塵も望んでいないというのに、彼の名誉を守りたいという勝手な私のエゴで努力したのだ。
きっと彼は私が何をしたって許すのだ。それが父として正しいとか間違っているとかでなくて、彼としてはそれこそが正しいのだ。

「大統領、お仕事は大丈夫なんですか」

「お前はまたそんな嫌味を言う」

声の調子とは裏腹に表情はなんだか嬉しそうでもあった。彼は普通の父娘のように会話を交わしたいのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。その辺りは私だって分からないが、私と話す彼がさりげなくいつも楽しげなのはなんとなく、なんとなく分かる。

「二年半もの間、ここに顔を出すことも出来ないほど忙しかったのでしょう。昨日来て一晩泊まって、もう昼過ぎですよ。長い間忙しくて突然暇になるなんてことはそうそう無いでしょう」

「二年半、か。すまなかったな、その件については」

「いえ別に、不自由はしてませんので」

淡々と言葉を返しているつもりだが、彼はふっと笑う。そうかそうか、と小さく返すその表情はやはりからかっているように見えて、ほんの少しだけ、不快だ。

「……ヴァレンタイン大統領、私はそのようなつもりで言ったわけではありません」

「年に似合わない敬語を使うな、結芽」

まさに父親が娘を叱るときのようである。呆れたような口調と眉尻を下げた困ったような表情と小さな溜息。何故だかつい後ろめたいような気持ちが湧いてきて居心地が悪い。
私が少し畏まったような敬語をわざと使うのは、嫌味のつもりである。恩を感じているならそんなことをするなと言われればそれは確かにそうなのだが、ここまで来ると私だって突然敬語をやめてしまうのも気が進まないし決心がつかないし、なによりタイミングも掴めない。
敬語が間違っているような気もするし、平然と間違った言葉遣いを続けるのもそれはそれで恥ずかしいけれど。

「あなたは結局、どうしたいんですか」

ぽつりと呟くと思いのほか拗ねたような口調になってしまい少し後悔する。やはり居心地は悪いな、なんて思って目線を外すが、視界の端で彼が悪戯っぽくにやりと笑うのが分かった。

「また仲良くしようじゃあないか、我が娘よ」

「義娘です」

「しかし娘だ。わたしの娘だろう」

「……私は」

苛立ちを隠しもしないで語勢を強めて言うが、彼はあいかわらず微笑を浮かべている。私一人だけ感情を顕にして、ただの子供のようで恥ずかしかった。

「お前はいつも立場ばかり気にする。しかし気にして何になる?お前が望む物は全て与えるつもりだが、お前はわたしに対していつも見当違いのものばかり返す」

「……私は、あなたの為に何かしたことなんて無いでしょう」

「わたしが気付かないとでも思うか、お前は。いつも必死に勉学に励んでいるのも身だしなみに気を遣うのもマナーを身につけようと一人で調べて勉強しているのも、気付かないわけがない」

「……私のためです」

「お前自身のためと言うがわたしのことを考えた結果としてそういう考えに至ったのだろう」

何も言い返せない。なんだか悔しくて納得がいかなくて、何か言ってやろうと口を開くが、再び喋り出した彼の言葉に遮られる。

「しかし、わたしは。そんなことは望んでいない。決して。わたしはただお前に幸せに過ごしてほしい。満足させてやりたい。血の滲むような努力なんて、しなくて良い」

「分かってる、そんなこと分かってるけど」

「……結芽」

言葉が詰まる。

「…………普通で良いんです……私は、豪華な暮らしも名誉も、それこそ望んでません」

彼はまた溜息をつく。いつもそうだ。これだから、溜息ばかりで何も言ってくれないから、何を考えているのか分からないのだ。

「普通を望むくせに、無駄な心配をするんじゃあない。普通でいたいなら、父親のために努力する必要も無い。ただ普通に、普通の学生のように、友達と遊んだり騒いで教師に叱られたり馬鹿なことをして笑ったりしていれば良い」

「それとこれとは、別です」

私だって、自分自身どうしたいのか、何を考えているのか何も理解出来ないのに。