最高の一日を

ディエゴは大きく溜息を吐き出した。
いや、それは例えば呆れだとか、疲れだとか、そういうマイナスな意味合いのものではなくて、ただ単純にどうしていいかわからないといったところである。

「ハロウィンはイギリス発祥なのに、なんでイギリス人が『ハロウィンはアメリカ文化だから関係ない』なんて言っちゃうのかしら」

いや、わかっている、わかっているのだ。
彼女のその不満げな声も目も、ハロウィンという文化がどうこうとかそんなことに対しての不満ではない。要するに、日本人である彼女の大好きな『ハロウィン』を彼と楽しむことが出来ないということに対して拗ねているのである。

「なあ、ナマエ……」
「───ああ、そうだ、ディエゴ」

機嫌を直してやろうと身をよじってそちらを向こうとすると、彼女は急に立ち上がる。座っていたのが急に立ち上がるからソファに振動が伝わり、そして隣の彼女が突然逃げたようなその感覚も相まって、ディエゴは不快そうに顔を顰めた。
反して、ナマエはいいことを思いついたとでも言いたげに笑顔である。
その笑顔に免じて───なんていうわけではないが彼女のことだから仕方がないとディエゴも許し、諦めたようにソファから立ち上がった。

「どうした? ナマエ」
「お菓子、作ろうかなって。ね、だからディエゴも」
「……一緒に?」
「一緒に!」

ディエゴはそのままの表情で固まり、数回まばたきをしたかと思うと、再び嘆息した。

「……おまえは、本当に」
「呆れてる?」
「さあ、どうだろうな」
「嫌なの?」

ナマエが拗ねるように唇を尖らせると、彼はふっと笑ってナマエの頭に手を置いた。

「いいや? ああ、いいぜ、おまえの好きなお菓子作り……オレもやろう」
「一緒に?」
「ああ、一緒に」

ナマエは満足そうににっこりと笑んだ。それからぱたぱたと足音を立ててキッチンへ駆けて行きながら、「ねえ、クッキーで良いでしょう? どうせだからちゃんとハロウィンっぽいのにしましょうよ」なんて弾んだ声で言って、ちょっとだけ振り向く。ディエゴはそんな彼女の様子にほんの少し笑って、同じようにキッチンへ向かう。

「材料はあるのか?」
「バッチリ。あ、でもディエゴ、甘いもの無理?」
「……いや、そうでもない」
「ほんと? じゃあ普段通りで良いかな」
「出来れば少し固めに」
「りょーかい。あ、ディエゴ、冷蔵庫からバター出して」

彼女がお菓子作りを趣味としていることはもちろんディエゴも知っていたが、実際作っているところを間近で見るのは初めてのことだった。
手際よく材料を並べて準備していくその手を黙って見つめるが、彼女はそれでも気付かないほどに集中している。と、そこでぴたりと手を止めたかと思うとなんだか堅いような引きつったような笑みでこちらを向いた。

「え……っと、ディエゴ? どうかした?」
「ン? おまえこそどうした」
「いや、だって、ディエゴが───……ううん、なんでもないなら……わたしも、なんでもない」
「……なんでもなく、ないと言ったら?」
「……え? じゃあわたしもなんでもなくない」

呆れた奴だ。心の中でそう思って、しかしそれとは反対に何故だか緩んでしまう頬を自覚して、ああ、本当に仕方のない奴だと苦笑した。

「おまえのその手際の良さに見とれてたんだ」
「……ディエゴったらいつも平気でそういうことを言うんだから」
「悪い気はしないだろう?」
「嬉しいから怒ってんのよ、このおばか」

わざとらしく怒ったような顔をしてみせて照れ隠しのように棚の方へ向かう彼女に、ディエゴはくくっと喉を鳴らして笑う。泡立て器を手にして戻ってきた彼女は、「確信犯って一番ずるいと思わない?」と不満げに眉根を寄せた。

「もうそろそろ15分経つかなあ」
「あと3分だぞ」

オーブンの前でしゃがみ込んでそわそわしているその様子はなんだか動物か何かのようで、見ていて面白い。ナマエは余程そのクッキーが楽しみなのだろうと、ディエゴは思う。

「わ、できたできた!」

チン、と小気味よい効果音を鳴らしたオーブンにナマエは急に笑顔になって、こちらを振り返る。

「すごくいい感じよディエゴ、見て!」
「ああ、そうだな」

軽く口元を吊り上げて笑ってやると彼女は満足げににっこりとして、天板からひとつクッキーをつまみあげてディエゴの目の前にかざした。

「おひとつ、試食、どう?」
「……どうせ今から食うだろ?」
「良いからひとつ! お菓子作りは試食までがお菓子作りなんだから! これも楽しみのひとつよ、ほら、出来立てだし」

あまりに楽しそうに彼女が言うので、ディエゴは仕方なく彼女の腕を掴んでそのままクッキーに齧り付いた。

「……なかなか美味いぜ」
「普通に手で取りなさいよ、もう……」

ナマエの、照れたとき斜め下へ視線を逸らしてうっすらと笑って誤魔化そうとするその癖が、ディエゴは好きだった。

「それじゃあ次はおまえだ」
「……へ?」
「……ハロウィンに言う言葉は?」
「トリック、オア……トリート……?」
「ああ、treatだ」

天板からまたひとつクッキーをとって、今度はナマエの口へ放り込む。
彼女は何とも言いがたい微妙な表情を浮かべながらもそれを咀嚼した。

「……ディエゴって、わけわかんない」
「オレにはおまえの方がよくわからん」
「……うん、そっか……」

ごく自然な数秒の沈黙の後でディエゴがふと思いついたように「そういえば」と言うと、彼女はほんの少し首を傾げる。

「オレはまだTrick or Treatを言っていなかったよな」
「お菓子なら今作ったじゃあないの」
「オレと作ったのはノーカウントだ」
「…………もう、ばかみたい」

ナマエは呆れたように苦笑いして、冷蔵庫から綺麗にラッピングされたものを取り出して、ディエゴに差し出した。

「……あなたもう子供じゃあないんだから、ね?」
「ハロウィンで浮かれてたおまえに言われたくはないな」
「そんな失礼なこと言うなら返してもらうわ」
「もらったものは既にオレのものだろ?」
「……ほんと、わけわかんない」

くすくすと笑う。

「……わざわざ用意してたんだな」
「ハロウィンだからと思って。まさかディエゴがハロウィンに対してこんなに冷めてると思わなかったから、結局一緒にお菓子作りするはめになっちゃったけど」
「そっちの方が楽しかっただろ?」
「……それは、そうだけど」
「だったらいいじゃあないか」
「……あなたって、ほんとに……」
「呆れたいのはこっちだ」

わざとらしくオーバーな仕草でディエゴは肩をすくめてみせた。対するナマエも困り顔を作ってゆっくりとまばたきをしてみせる。

「呆れてるの? わたしに?」
「……たった今呆れたところだ」

そうやって見つめあってみたりなんかして、それからふたりして大爆笑。ひとしきり笑ったあとで、ナマエはにっこりと笑んだ。

「……はっぴーはろうぃん、ディエゴ」

過去最高のハロウィンだ。ディエゴはそんなことを思って、ナマエの頬を指先で撫でた。