素直じゃない

「やっほー露伴くん、はっぴーはろうぃん」
「帰れ」

驚くほどはっきりと三文字だけを吐き捨てて、彼はこちらを見向きもしない。ナマエは唇を尖らせて彼の背中を指先でつついた。

「ねえ、ねえ露伴くん、ハロウィンよ?」
「だからどうした」
「遊ぼーぜ」
「いやだね」
「なんでよ」
「そんなに暇じゃあないんだ」
「仕事? どうせすぐ描き終わるじゃあないの」

相変わらず振り向きもしないで机に向かっている男、岸辺露伴は漫画家である。漫画家なのだから、まあ、仕事もあるだろう。漫画家なのだから、忙しくて普段から寝る暇もないだろう。というのは一般的な漫画家のイメージである。岸辺露伴は一般的な漫画家ではない、むしろ特殊と言える。なにせ描くスピードが尋常でないのだから。とはいえ、忙しいのは本当だ。速筆だからといって、暇人だと思われるのは露伴も心外だった。

「露伴くん、仕方ないから露伴くんから先に言わせてあげるよ。さん、はい」
「何をだ」
「『トリック・オア・トリート』しかないでしょう露伴くんのおばか!」
「……言ったらきみはぼくに菓子でもくれるっていうのか?」
「もちろん。ちゃんと持ってきたのよ、えらいでしょう」
「ふん、まったく興味がないね」
「ハロウィンに興味のない人間なんているの?」
「いるさ、ここに」

どれだけ必死で話しかけても露伴は乗り気になってはくれないが、ナマエにしてみればただこうしてまともに会話を交わしてくれること自体が嬉しかった。ハロウィンそのものは正直なところ別にどうだって良かった。何か理由をつけてでも露伴に話しかけたかっただけなのである。

「ねえ露伴くん、」
「……ナマエ」
「え、なに」
「そろそろ帰ってくれないか」
「……露伴くんつっっめたい! さすがにあたしも傷ついたわよ!」

彼は目の端でちらりと──やっと、ほんの少しだけナマエの方を見て、小さく溜息を零した。

「ハロウィンが何だって言うんだ?」
「え? ……だって、ハロウィンだよ?」
「……興味なんかないくせにな」

なんでわかるの、と言おうとして口を噤む。どうせ彼は鎌をかけているだけだ、ほんとにわかってるわけじゃあない、なんて自分自身に言い聞かせながら。

「だって、ハロウィンってほら、お菓子もらえるでしょう。だから露伴くんも!お菓子ちょうだい」
「きみのそういうところはよくないと思うぜ」
「そういうって、どういう……」
「言っていいのか?」
「そんなのべつに──あ、待って、やっぱだめ」

焦り気味にナマエが止めると、露伴はにやりと得意気に笑ってみせる。なんとも腹立たしい表情だが、彼がすると似合ってしまうのだからそれが余計に憎らしい。そんなところも『良い』のだけれど。

「まあきみもわかっていることだろうが──ぼくにはわからないことなんかないからな」
「……腹立つ」
「とか言いつつ本気で怒ってはいないんだろ?」
「露伴くんのそういうところって正直かなりどうかと思う」
「何とでも言え」
「やーい露伴くんのばーか」
「バカにバカって言われたくはないね」
「ひっどい! あたしべつにバカじゃあないんだけど!」
「きみがバカじゃあないなら一体何なんだ? アホか?」

彼は何もかもわかっていると言うくせに核心を突いてくることはない。帰れとしつこく言うくせに無理矢理に帰らせたりはしない。ひどい言葉を浴びせるくせに時々ものすごく優しい。
こちらからは彼の考えていることなんて何ひとつわかりはしないのに、彼は人の考えなんてすべてわかってしまうのだからずるい。そんなの不公平じゃないか、おかしいじゃあないかとナマエはいつも思う。
何なんだ、岸辺露伴は。

「……ひどいよ、露伴くん」
「…………」
「ねえったら。……トリック・オア・トリート」
「それ、仮装してなくっちゃあ意味無いんだぜ」
「じゃあこれは、そう……あれだ。幽霊の仮装。だから普通の格好でいいの。幽霊って、普通の人間と見た目変わらないでしょう」
「ゆうれ──……さすがにそれはないだろ」
「いいの!」
「……仕方が無いな、まったく」

彼は露骨に嫌そうな顔をして、机の下からきれいにラッピングされた包みを持ち出して、ナマエの方へ放り投げた。
ナマエはぎりぎりでそれをキャッチして、なんとも言い難い微妙な表情を浮かべた。

「……なんか」
「文句でもあるのか?」
「……ううん、放り投げるなんて本当に露伴くんは雑でヒドイなぁって思ったんだけど、ラッピングは綺麗だし何だかんだ用意してくれてるし、露伴くんってやっぱり意味わかんないなって思っただけ」
「どういう意味だ」
「露伴くんがかわいいってことだよ」
「怒らせたいのかきみは」

───なるほど、つまり、そういうことだ。
わかってしまえばなんてことない。彼のわざとらしく歪めた表情すらも可愛らしく思えてくる。
全部照れ隠しなのだ。そうと知ってしまうともう何もかもが愛おしくて仕方がない。
これからは帰れと言われてもしつこく居座ってやろうと心に決めたが、いや、それは今もそうだったと思い出した。それじゃあどうしようか。ほんの少し悩んでから、ナマエはぱっと表情を明るくした。

「ねえ、露伴くん!」
「今度はなんだい」
「露伴くん、大好きよ」

ひどく驚いた顔で彼は振り返る。
予想していた通りの真っ赤な顔だった。