星芒

死にたいと思うのは初めてのことだった。
昔から、何か物事を深く考えたり調べたりして知識を広げていくことが好きだった。
それまで死にたいと思ったことは無かった。『死にたい』というのは初めての感覚であり、あんなにも求めて、焦がれていたはずのこの死ねない体を厭わしく思うのは彼にとってひどく皮肉なものであった。笑えるほどに滑稽であった。だというのに笑うことすらもできる気分ではなかった。
何かをする気分ではなかった。何かをしたいとも思わず、ただ何を出来るわけでもないのに考え事をするのも馬鹿馬鹿しく思った。
だから、今ここにごく普通の少女が存在していることにももはや何の疑問も抱かなかったのである。

「…………」
「……わ、すごい。ほんとにいたんだ」

少女は何か、珍しい虫か何かでも発見したような感覚で眉を寄せた。
彼はそれを目の端で捉え、しかしどうすることもしなかった。表情を変えることすらもしなかった。

「えーと……何て呼ぼうかな。究極生命体、さん?」
「…………」
「え、あれ、ご不満? でもどうしようか、わたしあなたの名前覚えてないんです……世界史で習ったはずだったけど」
「…………」
「えーと、あれだ、そう。ワムウさん」
「…………」
「……は、べつのひとだっけ。じゃあ、えーと」

彼はまだ、何もかも捨て意識すらも放り出してしまっているわけではなかったが、彼女の問い掛けに言葉を返すことも億劫だった。ひとではないと否定することもただ面倒であった。

「──ああ、思い出した。カーズさんだ」

ぱっと途端に表情を明るくさせる少女を、ほんの少し眩しいと思った。実際光っているわけではないのに、しかし眩しく目に痛かった。克服したはずの太陽の光はもっと暖かであったが、刺さるような形の光が痛くてほんの少し不快だった。

「…………」
「あっごめんなさい。わたしは苗字ナマエ。先に名乗らなきゃ、失礼ですよね。忘れてました」
「…………」
「あなたが宇宙に飛ばされたのが、たぶん百年くらいは前だったかなあ。世界史って、内容は嫌いじゃあないんだけれど、どうも年号が覚えられなくて」

そのくらい覚えられるだろうと、少し思った。思わず眉を顰めてしまいそうになったが、百年以上も動いていないのだから急にスムーズに動けるはずもなかった。見てもわからない程度に、ほんの少しだけ、顔を顰めた。

「……改めて、はじめまして。授業の一環で見学に来ました。代表でひとりだけだったんだけれど、抽選で選ばれたのでわたしが来ました」
「…………」
「わたし以上にあなたに興味を持ってる人、たくさん居たのにね。ごめんなさい、こんなのが来て……でも、ちょっとロマンかなって」
「…………」
「……宇宙に究極の生命体が漂ってるって、ロマンじゃあないですか?」
「……理解、できんな」

ぽつりと呟いた。少女は驚くでもなくただ当然のように「そうですかね」と返した。さっきまで一緒に歩いていた友達に自然に言葉を返すような、そんな様子で、それがなんだか可笑しかった。

「退屈でしょう、カーズさん」
「…………」
「百年もそこに居るのって、どうですか」

究極生命体の目の前で馬鹿みたいにひとりで喋っているのはどんな気持ちかと、むしろ尋ねてみたかった。彼が今そうしようと思えば、いつだって彼女の命を奪うことは出来た。何が授業の一環だ。自分は見世物ではない。馬鹿にするな。そんなことを言ってしまえば良かった。しかし言ったところで、どうだろうか。彼女なら無邪気に笑って「すみません」とただ一言謝るだろう。授業の内容を決めたのは彼女でないのだから彼女に非はないが、それでも彼女は笑って謝るのだろう。
目に痛い。痛く突き刺さる。あの光のような。

「一時間で帰れって言われたけれど、宇宙で時間がわかるわけがないですよね。困っちゃうな」
「…………」
「少し、お話しますか」
「…………いらん」

はやく帰ってしまえと思った。おまえはこんなところにいるべきではないのだから、帰れと思った。ひとりではつまらない何もない空間も、ふたりなら退屈でもないのかもしれない。だから帰れ、ここに留まらないでくれと思った。彼女を引き留めてしまうような、まさか寂しいだなんて思ってしまうような自分でありたくはなかった。

「じゃあ、帰りますね。まだ簡単に宇宙には来られないんですけど、きっとまた来ます。会いに来ます。わたしが生きる時間なんて数十年程度ですから、次に来るまでなんてあっという間ですよ。待っててくださいね」

言い終わるかどうかといううちにすぐ彼女は行ってしまった。去って行ってしまった。
まだ簡単には来られないと言ったが、そう簡単に誰でも彼でもここに来て欲しくはないと思った。
苗字ナマエ。頭の中でその名を呟いてみた。
ほんの少しだけ、楽しいと思った。面白いと思った。ほんの少しだけ。

2015.09.04