つまさきは痛むのに

「プロシュート、ねえ」
「いい加減にしろって、何度言った?」

溜息混じりの、咎めるようなその声に、少女は笑顔で伸ばしかけたその手を引っ込め、目を伏せ口元を歪めた。
いつも相手にしてもらえない。彼、プロシュートがいつもこの通りを歩いていることを知っているから待ち伏せをするように自分も毎日のようにここへ来るのに、何度声をかけたって、後をついて歩いたって、いつも、そうだ。

「……なんで、だめなの」
「初めて会ったときには挨拶してやった、次は世間話に付き合ってやった、その次は名前を教えてやった───まだ満足しねえか?え?」
「違うのよプロシュート、あたしは」
「恋に恋する年頃か?そりゃあいいが、オレじゃあなく別の誰かにしろ」
「いやよ、ねえ、プロシュート」

手を伸ばして無理矢理に触れてしまえば振り払われることをナマエは知っている。知っていて傷つきたくないからそれをしないのに、そうこうしている間に彼はすたすたと、手を振り払いこそしないものの存在ごと振り払うように早足で去っていこうとするから、少女の必死さはまるで意味をなさなかった。
ナマエは眉を寄せた。

「プロシュート」
「しつこいガキは嫌われるぜ」
「ガ……ッ、───……ええ、そう、そうね。ガキだって言われていちいち怒るのは確かにガキだもの……認めるわ。あなたからしたら、ガキよね」
「ああ」
「……そんなに……面倒臭そうに返事をしないでよ」
「……なあ、おまえ」

柔らかい声で呼ばれて、決して喜べる状況でもないのに舞い上がってしまう自分がなんだか悔しいような馬鹿馬鹿しいような、不思議な心地がした。一呼吸分置いて、ちいさく「なに」と返すと、彼は立ち止まって振り返る。期待してはいけないというのは、もちろんわかっていた。

「何が目的だ?」
「……そんなことを、わざわざ聞くの?あたしもわからないのに?」
「おまえは何なんだ」
「あたしは……ナマエよ。前に名乗ったでしょう。覚えてくれてないのね」

――覚えてくれないのなら、何度でも名乗るまで。もはや悔しくもなんともなくて、肩を竦めた。 
 
「…………ナマエ、おい、ナマエよォ」
「……ねえ、だから、なによ?」
「おまえは、所詮、ガキだろう」

ナマエは視線を落として、それからまたまっすぐに斜め上を見て、「わかっていても、仕方がないことってのもあるわ」と震えたような声で言った。震えて、それでも芯の通ったような、はっきりとした声だった。
プロシュートはそのままだまって彼女を見つめ、いくらか経ったあとで、諦めたように溜息をついた。

「───ああ、ああ、そうかよ。それじゃあバンビーナのナマエ、おうちはどこだ? ひとりで帰れるのか?」
「あなたが思うほど、あたし、子供じゃあないわよ」
「自分がそう思ってるだけだ。大抵の子供は、自分ではもう大人だって思ってるだろうが。おまえもそういう奴だってことだ」
「プロシュートってば……。……いいえ、もういいわ。もう充分だわ……あなたがあたしをひとりの立派な女の子として認めてくれないことが、よくわかった。その辺の子供と同じ扱いなのね」

プロシュートは怪訝そうに片眉を上げたが、少女は何か一大決心でもするように胸に手を当てて呼吸を整えるようにして、いっそ滑稽なほどに真剣な表情で彼を見つめた。

「好きよ、プロシュート」
「……知ってる」
「あなたは、相手にしてくれないでしょうけど――」
「おまえが言う『好き』は所詮子供の『好き』だろ」
「……そう言うと思ってた」

唇を尖らせて嘆息して、瞳をうるませる。それは悲しげというよりも、ただただまとまらない感情が溢れ出している様子だった。

「でも、そんなに粘るなら……あたし、あなたの秘密を言ってしまわなくちゃあいけなくなる」
「……オイ」
「知ってるのに、あたし、あなたの秘密」

プロシュートはほんの一瞬言葉に詰まって、それからぐっと唇を噛み締めた。
────秘密、だ?
苛立ちにも似た感情だった。
ある意味、卑怯なやり口である。秘密を知っているだなんて言うくせにその秘密とやらが何なのか、彼女は言いやしないのだ。そこで過剰に反応してしまえば、あるいは口止めしてしまえば、言わないでくれと縋り付いてしまえば、それはつまり彼女の勝ちなのである。勿論、こんな少女に何を知られているわけでもないだろうが――……
プロシュートは目線を合わせるようにしゃがみこんだ。

「……何の話だ?」
「あら、知らないふりをするの」
「……ナマエ」
「ハッタリだと、思っているんでしょう」
「……オイ……ナマエ、いい加減に」
「あなたが思うほど子供じゃあないって、何度言わせるの。あなたが人を殺すひとだって、あたしは知ってる」
「………………」

冷たく無機質な瞳で彼女を見つめた。見つめられて彼女は視線を逸らしたくなって、それでも身じろぎひとつせずじっと見つめ返した。そのまま、数秒。

「……映画の見過ぎだぜ、バンビーナ」
「……あーあ。あなたが本当に人殺しだったら、口止めくらいはされたかしら」
「さあ、したかもな。ほら、もう帰れ」
「……明日もまた、来る?」
「さあな」

所詮は子供だ。ナマエ自身だってわかっていた。所詮は恋の真似事だ。どうせそんなものだ。
どんなに爪先立って背伸びをしたって、背伸びの姿勢で必死にあとをついて歩いたって、結局はバランスを崩してこけるだけなのだから。

2015.09.27