まずは一日

「んー……ああ、こんなによく寝たの久し振り、かも……」

 起き上がって伸びをする。睡眠時間はいつも通りだけれど、追い詰められ脅かされることのない快適な眠りが得られて、心の底からすっきりとした気持ちだ。吸血鬼のDIOや、何だかよくわからないが究極生命体だというカーズに陽が当たらないよう注意しながらカーテンをそっと小さく開くと、太陽は馬鹿みたいに明るく輝いていた。

「ん、玲香か。起きたんだな。おはよう」
「あら、吉良はもう起きてたのね。おはよう。……みんなは?」

 まだ寝てるのは、DIOとカーズだけ。彼らは日光に弱いから、日が落ちてからが活動の本番らしい。カーズは太陽を克服したから本当は平気なのだと言っていたけれど、習慣なのか何なのか、あまり朝早く起きてくることはないのだそうだ。ディアボロはさっきから部屋の隅で一心不乱にパソコンのキーボードをカタカタと打っている。いや、彼に関しては、もしかすると普通に徹夜の可能性がある。睡眠不足で死なないように気を付けてほしい。ディエゴとプッチは――……

「あ、もしかしてあの二人は……仕事組ね」
「ああ。私ももうすぐ出勤だよ」

 ――えっ?
 言われてみれば確かに、吉良はスーツを着ているし、どう見ても普通のサラリーマンだ。普通、かどうかはわからないところだが。考えてみれば当然彼にも仕事はあるだろうけれど、昨日は吉良もずっと家に居たので、まさか今日仕事へ行ってしまうなんて考えもしなかったのだ。

「……嫌よ吉良!! 困るわ!」

吉良の足にしがみついて叫ぶと、何を言っているんだと目線だけで訴えかけてくる。しかしここで怯むわけにはいかない。死活問題だ。

「だってあの3人と留守番なんて無理よ! ディアボロはまだマシだけど、すぐ死んでしまいそうだし……吉良が居なきゃ困るったら!」

 残っているメンバーは、DIO、カーズ、ディアボロだ。まだここへ来て一日目のわたしだけれど、少なくともDIOが色々な意味で危険なのはわかる。カーズも……格好以外は比較的まともそうではあるのだけれど、ぶっ飛んだことをしでかしそうな不安がある。ディアボロは……絶対に死ぬと思う。わたしにはどうすることもできない。
 必死で訴えかけると、吉良がしゃがみ込んで目線を合わせ、わたしを見る。
 ――あれ、もしかしてこれ子供扱いされてる?

「……玲香。私は社会人だ、仕事は簡単には休めない。分かるね? それに、君だってこれから毎日そんな生活なんだ、我慢するしかない。もし不安なら、ディアボロにドッピオと交代するように言うんだ。あの子なら、比較的まともに君と話をしてくれるだろう」

 完全に子供に言い聞かせる口調だった。なんともプライドが傷付けられるが、まあ、吉良にしてみればわたしなんて小娘だろう。
 いや、そんなことよりも、”ドッピオと交代する”と言ったか。ドッピオって誰? 交代? 頭の中がクエスチョンだらけになってしまう。

「ねえ吉良、ドッピオって……」
「……ああ、時間だ。行ってくるよ、玲香。夜8時までには帰るから、大人しくしていなさい」

 吉良は鞄を掴んで、腕時計を確認しながら玄関へ向かった。「ドッピオ」は気になるけれど、とりあえずわたしも玄関まで着いて行こう。きっと本人に聞いた方が早いだろうから、交代の件はあとでディアボロに聞いてみるとしよう。

「吉良、行ってらっしゃい!」

玄関先で見送りの挨拶をすると、吉良は微笑んでから扉を閉めて行ってしまった。

「はあ……とりあえず……問題児が起きてくる前に、まずはディアボロに話し掛けるべきかしら。カーズはともかく、DIOは夜まで起きないでしょうけど」

 部屋に戻り、パソコンの画面とにらめっこしているディアボロの顔を覗き込む。

「ディアボロ?」

「うわああッ!!……玲香か……」

 いや、何もそんなに驚かなくても――と思うが、死の恐怖に日夜怯えている彼にはこれも仕方ないのだろう。座った状態から思いっきりこけたディアボロの様子はコメディにしか見えなかったけれど、笑っては可哀想だ。大丈夫かと少し心配になったが、死んではいなかったようで安心した。

「別に画面覗いたりしないから……あのねディアボロ、わたしはあなたに聞きたいことがあるのよ」

 そう言うと、彼は訝しげにわたしを見上げた。

「聞きたいこと? 何故このオレに……?」
「あの……ドッピオって誰なの?」

 ドッピオ、と名前を聞いた瞬間、彼は焦るようにガバッと身を起こした。が、すぐにハッとして深く息をつく。一体どうしたんだろうか。

「そうか、誰かに聞いたな……?」
「ええ、聞いたというか……。このメンバーで留守番は嫌だって吉良にゴネたのよ。そうしたら、ドッピオに代わってもらいなさいって」
「そういう……ことか……」

 ディアボロはガックシとうなだれる。ドッピオが誰なのか気になって仕方のないわたしは、早く教えてほしくて焦れたが、あまり無理を言うとディアボロが死ぬかもしれないと思い、慎重に話を進めることにした。いつどんなタイミングで死ぬかわからないので、嫌でも慎重になってしまう。

「もしかして、わたしには教えられないようなことだったかしら? それなら無理には……」
「いや、そういうわけじゃあない。ただ……ムム、どうしたものか。奴らはわたしの可愛いドッピオを小間使いのように扱うのでな。あまり無理をさせたくはないのだが……」
「あら、そういうこと」

 わたしの可愛いドッピオ、ということはおそらくディアボロはドッピオの保護者か何かで、野蛮な住人たちの魔の手から守りたいのだろう。なんとなく理解できた。しかし、わたしはドッピオを傷付けるつもりはないということを分かってもらわなくては。それに、代わるとは結局何なのだろう。ディアボロが部屋を出て、ドッピオがここへ来るのかもしれない。

「わたしも、そのドッピオ……くん?が、他の奴らに良いようにされないよう守るわよ」
「何だと? そうか、それは……まあ、お前なら問題ないだろう。よし」

 認めてもらえたんだか何なんだかわからないが、問題ないと判断が降りたようで良かった。ディアボロはいつの間に手にしていたのやら、セーターのような服を着始める。やっぱり、彼は外出するのだろう。いや、それなら先に電話なり何なりでドッピオを呼んだほうがいいのでは……?
 ――次の瞬間には、見覚えのない少年がそこに居た。

「……ん?ぼくは……」
「――え?」
「え? ……え?」

 彼も困惑しているようだが、わたしも困惑している。困惑どころか頭の中は大混乱だ。もしかして、今服を着たディアボロが、この少年に変化した? いや、変わったのではなくて、つまり、”代わった”……のだろうか。さっきの吉良が言っていた”ドッピオに代わる”というのは、もしかして――

「とうおるるるるるるるるん! すみません、電話だ! ……もしもし、はい、ドッピオです。ボス、彼女は――え? ボスの不在中、彼女の面倒を見るように? わ、分かりました……」

 何だかよくわからないが、電話をしている様子だ。なんとも奇妙な感じだけれど、ディアボロとはこうして意思疎通しているというわけか。分かるような分からないような……。
 
「――ええと……黒木、玲香さんですか?」
「え、ええ……。あなたがドッピオくん、よね?」
「はい。玲香さんも、ここに住むことになったんですよね。男所帯なのに大変だなァ……」

 どうやら電話(?)は終わったようで、彼はわたしの方へ向き直る。吉良の言っていた通り、まともに話が通じそうなタイプの少年だ。いや、こんなところに住んでいる以上、完全にまともな人間というわけではないのだろうけれど――そもそも、現時点で彼もなかなか特殊な存在であるということは、とてもよく分かったし。

「そ、そうなのよ! 初めてだわ、そんな気遣いのある言葉を言ってくれる住人は……」
「ええ? どんな扱いを受けてるんですか……って、まあ、あの人達ならそうなるか……」

 ゲンナリとした顔のドッピオくんに、なんだか少しのシンパシーを感じて嬉しくなり、わたしは言葉を重ねる。

「ドッピオくんもろくな扱いを受けてないのね? わたしも――特にDIOとかカーズなんて、わたしのこと邪魔な人間くらいにしか思ってないんじゃあないかしら。 吉良だって多分、住人が増えて面倒なことになった、くらいに思ってるだろうし……あとの人たちは、まだほとんど会話すらしていないのよ!」

 もちろん、突然住人が増えたのだから、多少排他的になってしまったり邪険に扱うのも仕方のないことだと頷ける。そりゃあそうだ、ただでさえ狭い部屋で、赤の他人と生活を共にするのだから。わたしが向こうの立場だったら、絶対に受け入れ難いことだし。しかしわたしよりも前から居るドッピオくんまで蔑ろにされているとは、可哀想な話だ。ディアボロの扱いを見れば、まあ同一人物(?)だし仕方がないのかもと思わなくもないけれど、しかし性格は全く違うように思う。良い子そうだし、もっと優しくしてあげても良いんじゃあないだろうか。ドッピオくんにそれを伝えると、彼は複雑な表情で頬を掻く。

「いやあ、多分、ぼくが彼らから受けてる扱いと玲香さんのそれは、なんかこう別物だとは思いますけどね……」
「別物?」
「良いようにこき使われるか、気に入られて玩具にされるかの違いというか……あ、ぼくがこき使われてる方で」

 なんだかそう改めて言葉にされると、なんとも言えない最悪な気分だ。面白い玩具的な方向性で気に入られたくはない。というか、楽しく暮らすためにある程度仲良くやっていきたくはあるけれど、そもそもそれほど気に入られる必要もないような気がする。

「わたしたち、どうしたら真っ当にみんなと仲良く出来るのかしらね」
「い、いやー、ぼくは仲良くはしなくていいかな……。でも、玲香さんは来たばかりですもんね。ある程度の関係性は築いておきたいってわけだ」
「そうなのよ。さすが、話が早いわね」

 わたしは感心すると同時に、なんだか嬉しくなった。この荒木荘に住む面々は、もう本当に途方もなく長生きしている人外だったり、オジサンと呼べるくらいの年齢だったり――ディエゴは唯一かなり歳が近いけれど何故だかあまりそんな気がしない――ドッピオくんが初めて、歳も近そうで話しやすくて、わたしにとって1番気兼ねなく接しやすい存在かもしれない。元がディアボロなのにどうして少年になるのかは、全くわからないけれど。その辺りはどうやら気にしない方が良さそうだ。

「そうだなァ……どうしたらあの人たちと仲良く出来るか、ですよね。つまり、あの人たちと対等にならなきゃあいけないんだ」
「対等……、そうね。言われてみればその通りよ」
「ということは、玲香さん。あなた――」

 ドッピオくんがじっとわたしを見る。なんとも真剣な瞳だ。わたしはごくりと喉を鳴らした。

「――今のままだと、舐められすぎなんじゃあ……?」
「や……ッ、やっぱり!?」

 ――ショックだ! いや、分かってたけど、分かってはいたけれど!
 いや、でも、実際そうだとしてわたしは何をしたら良いのだろう。これから挽回できるほど簡単なことでもないような気がする。どう考えても詰んでいる。もはや諦めるより他にないのでは……。

「困ったわね……何も手の施しようが無いわ」
「そんなにですか!? いやいや、何か少しくらいあるでしょ……!?」
「無いわよ! 絶望的なくらいなんッにも無いわ……!」

 わたしは初対面の時点で何もかも間違えていたんじゃあないだろうか。どの住人とのファーストコンタクトを思い返してみたって、舐められているし、面白がられているし、見下されているし、対等の”た”の字も無い。こんな状態で仲良くなんて、いくら何でもお花畑の発想だ。
 
「――おい、うるさいぞ貴様ら……このDIOの快適な眠りを醒ま」
「やかましいのよッ! 今忙しいんだから、外野は黙ってなさい!」

 何か聞こえたけれど、わたしは考え事で忙しいのだから構ってなんかいられない。それどころじゃあないのだ。
 しかし、対等になるのが無理なら、かなり癪だけれどある程度下手に出た方が穏やかな関係性が築けるのかしら? どちらかというとこの方がまだ成功率が高いかもしれない。問題はわたしのプライドだけだ。そのプライドも、昨夜からもうあるんだか無いんだかわからない程度にはズタズタになりつつあるけれど……。

「こ、このDIOを……雑にあしらったな、貴様……ッ」
「うわ、ちょ、玲香さん……! DIOさんですよ!」
「え?」

 焦るドッピオくんの声に驚いて顔を上げると、いつの間に起きたのやら、たしかにDIOが居た。顔を真っ赤にしてブルブル震えている。なんだって言うんだろう。

「このDIOを……このDIOをッッ……!」

 何事かブツブツと呟きながら、覚束ない足取りで部屋を出ていくDIO。いや、本当に何なんだ。朝っぱらから――朝? よく考えてみれば、DIOはまだ朝なのに外へ出て平気なんだろうか……?

「……なんか、叫び声聞こえましたけど……」
「し、知らないわよ!? え、わたしのせいかしら!?」
「どーーー考えたってそうに決まってるじゃあないですかァァ!! プライドを傷付けちゃったんですよぉ!」

 ドッピオくんがわたしの肩を引っ掴んでがくがくと揺らすので、うっかり内臓が口から出そうな気分になったけれど、それは何とか飲み込んだ。いや、そんなことよりも。

「わたしの……せい!?」
「だからそう言ってるじゃあ――」
「ということは! 舐められ回避作戦、成功と言っても良いんじゃあないかしら!」
「え? ……たしかに?」

 ドッピオくんと顔を見合わせる。キョトンとした顔だ。どうでもいいけれど、こんなに可愛げのある顔立ちをしている少年がディアボロと同一人物なら、彼も昔はこんな感じだったんだろうか。本当にどうでもいいけれど。
 今はそんなことよりも、作戦の成功を喜ぶべき時だ。

「やったわ! まったく偶然の産物だけれど、まあいいわよね! 名誉挽回よ!」
「で、でも玲香さん! 名誉挽回は良いんですけど、そのぉ~……ここから”仲良く”は難しくないですか……? 絶対怒ってますよ、あの人……」
「……。そうね、そうかも……?」

 いつも肝心なところで考えが足りないのが、わたしの悪い所だ。ドッピオくんに指摘されると、なんだか急に焦りを感じ始めてきた。このままだと――露骨に嫌な態度を取られる程度ならまだ良いけれど、毎日毎日暴力による仕返しで虐げられたりなんかしたらさすがのわたしも耐えられない。もしかしてわたしは、かなりのやらかしをしてしまったのでは……。

「まあ、いいか……」
「良くねェーーーだろ!!」

 ドッピオくんの鋭いツッコミが刺さる。彼、大人しそうに見えるけど、意外と口の悪い面もあるようだ。

「いや、良いのよ。もう面倒だから、後で考えるわ。実際にDIOに虐められそうになってから考えりゃあ良いのよ」
「呑気すぎませんか……!? まあ、玲香さんがそう言うんなら、ぼくも何も言いませんけどね……」

 考えるだけ無駄というか、わたしにはどうしようもなさそうなので、考えるのをやめた。