大統領との邂逅

 ドッピオくんの作った美味しい昼ごはんを食べ終わり、いつも通りにコタツでくつろぐ日曜日の昼下がり。ちなみにメインディッシュはナポリタンだった。ナポリタンは日本料理だって言うけど、イタリア人ながらそれを作ってみせるドッピオくんはさすがだと思う。吉良の料理は手慣れたもので安定した美味しさだけど、ドッピオくんの料理もこれまた美味しい。時々みんなから味付けについて好き勝手に文句を付けられているけど、それもご愛嬌。

「ドッピオくーん、クッション取ってくれるかしら? そこの」
「クッション……あ、これか。はい!」

 こんなことを言っても他の住人みたいに「自分でやれ」とか「おれの知ったことではない」とか言わず、嫌な顔もせず手渡してくれるドッピオくん。なんだか良い人過ぎて申し訳ない気持ちにすらなってきてしまう。みんな曰く「ただの善人ではない」らしいけど、それはそれだ。わたしにとって良い人ならそれで良い。

「悪いわね、ありがとう」

 軽く微笑むと、ドッピオくんもにっこり笑顔になった。間違いなく、この荒木荘で一番愛嬌があるのは彼だ。見ていて和んでしまう。

「玲香、ドッピオをパシリにするのは良くない」
「あー……そういうつもりじゃあないわ。でもそうね、自分で取ったほうが良かったかも」

 珍しくプッチに小言を言われてしまい、さすがのわたしも少し反省する。ドッピオくんは頼まれると働いてしまうタイプだから、あれこれお願いしすぎないようにしないと。
 
「別にわたしは君に反省しろとか言う気はないが、ドッピオを使いすぎるとディアボロが騒ぎ出して面倒だからな」
「ちょっと、プッチの発言のほうがわたしよりよっぽど酷いわよ」

 その言い草だと、ディアボロが何も言わなければプッチもドッピオをこき使うってことなんじゃあないかしら。本当にここの住人ときたら。わたしも同じ穴の狢とはいえ、彼らよりはまだ普通の感覚を持っているつもりだ。みんなには「そんなことない」って否定されるかもしれないけど。

「あはは……。そんなことより玲香さん、昨日はクッキーありがとうございました。ボスから受け取りましたよ」
「あら、こちらこそよ。感謝の気持ちだもの」
「……それと、家族だったら〜って話も聞きました。玲香さん、ボスの妹って選択肢を切ってペットポジションを選んだとか――」
「そッ……それは認識の齟齬があるわね!」

 ドッピオくんがちょっと言いづらそうに切り出したせいで、わたしが本気でペットポジを自ら望んでいるみたいになってしまって不本意だ。あまりにも。
 誤解を解くべく、わたしは昨日の流れを掻い摘んで説明する。嫁だのなんだのという下りを自分で説明するのはとてつもなく恥ずかしかったけど、省くとうまく伝わらずにまた誤解を受けそうだ。

「――というわけで。なんというか……みんな色々変なこと言ってるの。わたしは別に、どれも認めちゃいないわ」

「ぼくの勘違い……えーっとその……す、すみません。ボスがちょっとしょんぼりしてたんで、てっきり……」

 ドッピオくんは気まずそうに頬を掻いた。ディアボロ、しょんぼりしてたんだ……。なんともいえない気分だ。ちょっと可愛い気もするけど、まともに返事をしてあげなかったことが申し訳なくもある。べつに、ディアボロの妹ポジションが嫌だったわけじゃあないのに。まあ、話を遮ったディエゴが悪いけど。

「あはは、気にしないで……ディアボロにはそのうちフォローを入れておくわよ。好き勝手言ってたあいつらが全部悪いわ」
「そ、そうですか……。あれ? でもプッチさんは、その中に入ってないんですね」

 思わず、ドッピオくんと二人でプッチを見る。そういえば確かに。ペットだとか言い出したのはプッチだけど、『俺の○○合戦』には一貫して加わらなかった。その絶妙な距離感はありがたいけど、ペット扱いの元凶でもあるのでいまいち喜びにくい。

「まあプッチは、一番わたしに興味なさそうだものね」
「興味か。なくはないがね」

 なくはないって、「ある」とは言い切らない辺りが微妙な感じだ。「ある」ってほどにはないけど、「ない」わけでもない程度の些細な興味だろう。それはそれでちょっと寂しい気もする。

「そもそも、わたしプッチとはまだあんまりお喋りしてないものね。興味以前の問題だわ」
「たしかに。なかなかその機会も無いからな」

 プッチとわたしは互いに苦笑した。わたしはまだここへ来て間もないし、普段はDIOやカーズに絡まれたり吉良やドッピオくんとお喋りをしていることが多くて、プッチとゆっくり話をすることはあまり無かった。だから、今のように少人数でプッチを交えて会話ができるのは本当に珍しくて――

「そういえば、今日はみんなどこへ行っているのかしら?」
「さあ。そこまでは知らないが、今日は面倒な奴が来そうだからね。大方避難しているのだろう」

 面倒な奴? ……避難?
 いまいち意味がわからない。この間――ディエゴと買い物へ出掛けたときもみんな外出していたけれど、彼らが同じ時間帯に揃って出掛けているのは実際あまり無いことだ。だからどうしたんだろうと気になったのだけど、これじゃあ答えになっているんだかいないんだか微妙なところだ。ドッピオくんもぎこちなく苦笑いを浮かべるだけで、特に何も説明はしてくれなさそうだし。

「おや、帰ってきたみたいだ」

 バタバタと足音がして、プッチがそう言った瞬間、部屋の戸が開く。なんだか疲れたような顔つきのディエゴが、溜息混じりに「帰ったぜ」と言いながら部屋へ入ってきた。

「おかえり……ディエゴだけなの?」
「ああ、あいつらならもうそろそろ戻るだろ。俺は――逃げてきたところだ」
「逃げてきたって、何から?」

 わたしが言い終わるかどうかというところで、目の前のディエゴを押し退けるようにして戸が開いて、知らない誰かが入ってきた。何事かと凝視すると、今入ってきた巻き髪の男は、「どじャアァァ〜〜〜ん」という声――効果音?を高らかに響かせた。
 
「久しぶりだな! 逃げなくてもいいだろうに」
「来やがったか……」
「そう嫌がるな。わたしもお前も、この荒木荘の一員ではないか」

 なにかと苦労人なディエゴだけど、こんなに露骨に嫌そうな顔をしているのを見るのは初めてかもしれない。昔何かあったのかもしれない。わたしには知りようもないことだけど……。

「ああ、そうだ。Nice to meet you,玲香。君のことはあいつらから聞いている。わたしがファニー・ヴァレンタインだ」

 巻髪の彼はわたしの方へ向き直り、握手を求めた。ヴァレンタインという名前には聞き覚えがある。そういえば、初日に吉良が言っていた。確か――本職が忙しいから、普段は居ないんだったかしら?

「ええ、よろしく。あなた、普段は居ないんだって聞いてるけど、お仕事は何を?」
「アメリカ合衆国で大統領をやっている」
「あら、それは忙しそうね。大統領を――……え!?」

 彼自身があまりに平然と言ってのけるから、反応が遅れてしまった。わたしがぎょっとして、握手の手を放してしまうと、彼は眉を上げて肩をすくめた。

「奴らから聞いていなかったのだな。いや、質問された時点でそうかとは思ったが、ふんわりとすら聞いていないとは」
「ふんわりどころか一切聞いてなかったわよ!? というかその、態度を改めなきゃよね? どう呼べばいいですか、ミスター?」
「……フム」

 恐縮しながら震える声で恐る恐る問うと、ミスター・ヴァレンタインは少し考えるように顎に手をやった。後ろに突っ立っているディエゴから、「こんな奴に敬意なんか払わなくていいんだぜ、お前はアメリカ国民でもないんだし」と呆れた声が飛んできたけれど、そんなことは関係ない。仮にもそんな地位と名誉のある人の前で、恐縮せずにはいられない。わたしが態度を変えないのを見て、ディエゴはますます呆れたように、というかイライラしたように溜息を零した。プッチは先程からブツブツと何か言っていて、「わたしも出掛けておけば良かったか……?」と聞こえたような気もする。……あまり気にしないでおこう。

「玲香、そんなにかしこまらなくて良い。わたしのことはファニー、と」
「そ、そういうわけには……」
「わたしがこう言っているのにか?」

 う、と言葉に詰まる。さすがにずるい。こういう言い方をされたら、誰だって断れないに決まってる。

「わかった……わ。改めてよろしく、ファニー」
「ああ。よろしく」

 躊躇いがちにファーストネームを呼ぶと、彼は満足げに頷いた。ちっ、とディエゴの舌打ちが聞こえたかと思うと、続いて「ちょっと、ディエゴさん」と小声で注意するドッピオくんの声も耳に届いた。なんていい子なの。
 ファニーは数秒わたしを見つめたかと思うと、ふっと少し笑った。

「……何か? そんなに面白かったかしら、わたし」
「いや――……ああ。面白いな」

 一瞬否定しかけたのに、なんで肯定するんだ。どっちよ、と突っ込みを入れたくなるのを一応堪えて、続きを促すように僅かに首を傾げてみせる。

「それほど恐縮されるのはいつぶりだろうかと思ったのだ。珍しいシチュエーションに笑いが込み上げてしまってな」

 その立場なら、珍しくもなんともないでしょうに――そう思ったけれど、口にするのは踏みとどまった。そもそも、彼だってこの荒木荘の住人だ。わたしたちラスボスの中に、まっとうな人間がいるわけがない。彼にもどこかしら”ヤバい”ところがあって、今はそれほど敬われる機会も減っているということか。詳しくは聞かないでおくけど。
 わたしがなんとも言えない顔で考え込んでいるのをどう捉えたのやら、ファニーはぐいとわたしの方へ顔を近づける。

「――光栄に思いたまえ。わたしはおまえを気に入った」
「ええ……? そ、そう……?」
「そうとも。それに――やはり日本人とは、皆そのように幼い顔立ちをしているものなのか? だが、それがいい。気に入ったぞ。実に」

 なんだか少し怖くなってきて、そっと振り向いて助けを求めようとしてみる。けれど、プッチはすっかり知らぬ存ぜぬという顔で読書を始めてしまっているし、ディエゴはもはや苛つきを微塵も隠さない顔付きで、さすがにこれに対して助けを求めるのはちょっと……。ドッピオくんに縋るような視線を送るけれど――引き攣った苦笑で返されてしまった!

「その、……ファニー? あなたちょっと怖いわよ」
「ああ、怯えた顔も良いな」

 もしかしてこの人、話が通じないタイプの人間なんじゃあないだろうか。この家の人々は――人以外も――みんなそうだけど。一見まともそうな吉良もドッピオくんも、変なスイッチが入ると手に負えなくなるくらいだし。不在がちとはいえ、やっぱり荒木荘住人は荒木荘住人だ……。
 と、絶望しかけたところへガチャリと玄関の扉の音が聞こえたかと思うと、また部屋の戸が開いた。

「その辺にしておくのだ、ヴァレンタインよ」
「カーズ!? あら、みんなも……ええと、おかえりなさい」

 どうやら、外出していた皆が帰ってきたようだ。ぞろぞろと部屋へ入ってくる。……というか、さっきディエゴが帰ってきた時の口ぶりからして、彼らが外出しているところへファニーが現れて、ディエゴだけ先に逃げ帰ってきていたのか。そういう卑怯なところがディエゴらしいと言えばらしいけど、結局ファニーもディエゴを追ってきてしまったのだから意味がない。どのみち、ファニーもこの家へ帰ってくる気ではあっただろうけど……。

「なんだカーズ、わたしの邪魔をする気か?」
「玲香は我が荒木荘のペットなのだ。貴様にくれてやるわけにはいかん」
「ペットではないわよ! 話がややこしくなるじゃあないのッ!」

 ”我が”荒木荘って、ここは確かに私たち全員の”我が家”ではあるけど、カーズのものじゃなくて大家さんのものだし。わたしはペットじゃないし。助けてくれるのはありがたいけど、もうその話、無かったことにしない?

「仮にペットではないにしても、このDIOのものではあるぞ、ヴァレンタイン。安易に手を出すな」
「全く、お前らは好き勝手言って……。ほら、玲香? 怯えているね、可哀想に。さあ、手を」
「……それはちょっと。あと、誰のものでもないわよ」

 仮にって何? DIOのものって何?
 もうこの人たちには、それぞれ自分に都合のいい世界しか見えていないのかもしれない。多分そうだ。いや、絶対に。

「……こいつらからは既に随分と気に入られているようだな、玲香よ」

 ファニーは肩をすくめた。あまり嬉しくはない気に入られ方だけど、どうやらそれは事実なんだろう。ありがたいような、やっぱりものすごく困るような、複雑な気持ちだ。

「そうだぞ。だから貴様の入る余地などないのだ」
「つれないことを言うな。合間を縫って1日だけ帰ってこれたのだから、わたしも新入りと戯れたい。どうせすぐにあちらへ戻らなければならないからな」

 シッシッと払いのけるような仕草をするカーズにもどこ吹く風で、ファニーは相も変わらずわたしの方を見つめている。――かと思うと、そっとわたしの手を取って、その甲に口付けを落とした。わたしが呆気に取られているうちに、「これくらいの土産は許してくれるだろう?」と笑って、彼は去っていった。

「な、な、な…………」
「手にキスだと……私ですらしたことがないのにッ!」
「落ち着くのだ吉良」

 周りはガヤガヤと騒いでいるが、わたしは本当にそれどころではない。――勝手にしといて、許すも何も無いわよ! 思い切り怒鳴りたいところだけど、当人はさっさと出て行ってしまったし、わたしもわたしでびっくりしてうまく声が出ない。「玲香、深呼吸をしろ」とプッチの冷静な声が飛んできたので、思い切り息を吸って、吐く。なんだかもう溜息のようになってしまったし、脱力してしまって、その場にへたり込んだ。

「……嵐のような人だったわね」
「常に居るわけではないのがまだマシなところだな」
「かえってそれが悪いんじゃあないか? たまに帰ってきたかと思うと、はしゃいで碌でもないことをやらかすし」
「あれははしゃいでるのか……?」

 もうよくわからないけれど、一つ学んだことはある。今度また彼が帰ってきたら、出来るだけ距離を取って、あまり近付かないようにしよう。