「露伴先生、いつになったらあたしを漫画に描いてくれるんです?」
幾度となく繰り返されたその質問に、露伴はうんざりとした顔で溜息をつく。
「……もう何度も言ったことだが。きみを漫画に登場させる気はまッッたく無いね。そして早く帰ってくれないか、どうやってここに来たんだきみは」
「……窓。開けっ放しにしてると不審者に入られますよ先生」
「その不審者がきみじゃあないか。別に、僕だっていつも開け放してるわけじゃあないさ。きみみたいな”不審者”が入って来ないように、ちゃあんと警戒してるんだからな」
彼女はほんの少しでも開いている場所があれば簡単に家の中へ入って来たし、露伴が警戒して戸締りをどんなに念入りにしていても気が付いたらナマエが部屋にいるということがしょっちゅうだった。それは正直うんざりというレベルのものではなくて、はっきりと言ってしまえば実際不法侵入の罪にすら値するのだが──なぜだか、不思議とそれほど嫌な気待ちはしないものだ。
結局のところ、露伴は彼女が部屋に居ることを許してしまっているのだ。だから本当は不法侵入でもないのだが、なけなしのプライドで、口ではそれを認めない。
岸辺露伴は苗字ナマエのことが嫌いではない。
嫌いではない、というのは好いているということと同義かと問われれば答えは勿論のこと「否」であるし、不快だ不快でないは別にして彼女の侵入癖は良いものとは言えなかったが、それにしたって彼はナマエを訴えようなんて思うことは無かった。訴えるという発想すら彼にはなかったのだから滑稽なものである。
「細かいことは気にしたってどうしようもありませんよ先生。あたしはどんな隙間からでも突然侵入して来ますよ。そうですね、さながらネズミのように」
「その喩えはもう少しどうにかならなかったのか」
「ヤなこと言いますね、せんせったら。良いじゃあないですか。可愛いでしょう、ネズミ?」
否定の意を込めて、本日二度目の深い深い溜息を零した。
彼女の『それ』、どこからでも室内に侵入するという能力はおそらくスタンドではないかと、露伴は思っている。ヘブンズ・ドアーで苗字ナマエを読もうとした回数はもはや数え切れないほどだが、未だそれは叶っていない。それはスタンドによる抵抗だとか、ヘブンズ・ドアーが無効であったとか、そんな能力的問題ではなくて、強いて言うならば精神的なそれだった。
罪悪感と言うには邪過ぎるし、かといって遠慮でもなければ恐れでもない。
その理由というのが何であるのか彼には分からなかったが、しかしナマエをスタンドで本にしてみようと隙を狙っていてもその隙がなかなかに難しい。近寄ってみればにんまりと嬉しそうに笑むのでなんとなく近寄り難いし、無防備そうに見える彼女は意外にも露伴に背中を向けることが無い。寝ている間にという手段も無くはなかったが彼女が眠るところなど見たことがない。無防備に部屋に入ってくる女だが、夜まで居たことはないし、簡単に男の部屋で眠ったりもしない。気を許しているのかいないのかわからない奴だと、露伴は思う。
しかし。しかし露伴は無理矢理に近付いてナマエを本にすることも、睡眠薬を飲ませて眠らせることもしないのだ。問題なのはつまりそこなのである。
「ああ、まったく何だってぼくはドアホのナマエのために時間を割いて頭を悩ませなけりゃあならないんだ」
「そりゃあ心外ですよ先生、あたしべつに露伴先生に『あたしのために頭を使って一生懸命悩んでくださいね』なんて言ったことないじゃあないですか。勝手に悩んであたしに責任押し付けないでくださーいっ」
言い方こそ腹立たしいがしかし事実である。一方的に悩んでいるのは露伴だけだ。
「ほんとうに……きみという奴は」
「でも先生、あたし露伴先生がそうやって百面相してるとこ見るの好きですよ」
「……おい 」
「やだ、冗談ですよ」
彼女はいつもへらへらと笑うので正直冗談も何も無いのだが、果たして彼女が真面目で真剣な表情を見せることなどあるだろうか。いや、ないだろう。断言しても良いほどだった。
「……まあでも、ですね。先生がなんで悩んでいるのかってのはだいたい想像がつきます」
ナマエは楽しそうに、オーソンのケーキを頬張った。どこから持ってきたのか、というのはもはや聞くまい。
「……へえ。じゃ、言ってみろよ」
想像がつく、なんて言うので露伴は少々心乱されたが、しかしそこはやはりどうしようもなく岸辺露伴である。ちょっとした発言にいちいち突っかかっていく子供っぽさは欠点でもあり彼の魅力でもあった。
「……え? あたしを漫画に登場させるならどんなキャラクターにするか、既に考えてあるストーリーに新しいキャラクターをどう入れ込むか……悩んでいるんでしょう?」
露伴は大きく頭を抱えた。
「きみは馬鹿なのか」
「やだわ、今更ですよせんせ」
けらけらとナマエは笑い、からかわれたようで露伴は気に入らない。
彼女の手に持ったフォークを取り上げると、ナマエは一瞬だけ笑みをひいた。
「……。え、何ですか、怒ってます? やめてくださいよ、そのぉ~……友達のよしみで許してくれません?」
「誰が友達だ、誰が」
「あら、そんなのあたしと露伴せんせ──先生?何してるんです?」
ナマエは訝しげに顔を顰める。
露伴は彼女の顔に触れていた。
「もういい、ぼくはもう何も気にしないぞ。今日こそ……今度こそきみの頭ん中を全部見てやるからなッ!」
「……。……露伴先生」
無感情なようで、切なげにも聞こえ、しかしおどけたような響きさえも含んだ声だった。
珍しく無表情でこちらを見つめるナマエと、目が合った。しばしの沈黙の後、露伴はそっと目を逸らす。
「……何なんだ、きみは」
分かっている。彼女がおかしいのではなくて、自分がおかしいのだ。彼女と居ると不思議なくらい心乱されて、どうにも彼女を暴けない。
「お友達でしょう? 露伴先生の友達ですよ、いぇーい」
彼女は半ば投げやりにそう言って、露伴からフォークを取り返す。
そしてあからさまに顔を顰める露伴を見て──少し、笑った。呆れたように。しょうがないなあと、許すように。
彼女と友達になったつもりは無い。彼女を友達だと思ったことは無い。
『岸辺露伴は苗字ナマエのことが嫌いではない』。
それは確かに、好いているという意味ではなく、しかしそれでも『好いていない』という意味はどうしたって含まれない。
ならば、岸辺露伴は。
考えれば考えるほどに分からなくなって、彼もそのうち諦めて、ケーキを食べながら再び楽しげに微笑してみせる彼女を見て、……少し苦笑した。
2015.08.25